2014年11月23日日曜日

満中陰

母の四十九日の法要が行われた。

私自身は無宗教、と思っているので、
宗教に関しては興味がなく、
ほとんど何もわからない。
とは言え、
仏教を深く信じている母や実家の人達のすることに、
何もわからないのもいかがなものかと、
四十九日の法要を機会に
少し調べてみた。


仏教では人の死後、四十九日間魂が迷っているとされています。死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰といいます。

そのため七日ごとに法要を行い、四十九日目はその中陰の満ちる日であり、死者追善の最大の法要を営みます。お墓がある場合は、四十九日までに埋葬します。

 

発祥地であるインドの仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に亘り法要を行っていた。(古代インド文明の七進法により、七ごとなのである。)輪廻の思想により、人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、と考えられていたからである。
それが日本に伝わり、宗旨によって考え方は様々であるが、人は死後、魂を清めて仏になる為に中陰の道を歩き、あの世を目指す。その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が中陰法要(7日毎に行う法要)を行い、お経の声が審判官に届けば赦される、とされている。

(ブリタニカ国際大百科事典、wikipedia )




「写真を撮る」と言うとポーズをしてしまう孫たちと。

お天気も良く、
沢山の人に集まってもらえ、
母も心置きなく仏になれたのだと思う。




2014年11月14日金曜日

オープン ガーデン

御近所のお家で、
毎年「オープンガーデン」として、
お庭を開放してくださるところがある。


今年も菊の花が見事に咲いているお庭に
お邪魔させていただいた。


ちょっとした展覧会より、ずっと見ごたえがあると思う。


2014年11月9日日曜日

献血推進活動

献血推進員になって、
3度目の推進活動。

駅のそばに設置された移動献血車と諸々の設備まで、
通りすがりの人を呼び止め献血の依頼をし、誘導する。

日曜日と言うこともあり、
若い人たちは観光地に出かけているようで、
通るのは高齢者の人が多く、
献血を依頼すると「こちらが輸血をしてほしいくらい・・・」
と断られることも多い。

近くで大阪ガスの駅前展示をしていた。
若者が多いのでその人たちが献血をしてくれたら助かるのにと思い声をかけると、
皆一様に今仕事中ですから、みたいな回答が来た。
ただ、
中の一人が、「ガスコンロを買ってくれたらしますよ!」と言うので、
献血してもらうたびにコンロを買うわけにもいかず、断念した。
(-_-)


私が不慣れなせいもあり、
今回は赤十字の職員も早目に来てくれたので、
少し楽だった。
ただ、
朝9時から夕方5時過ぎまで、
ほとんど立ちっぱなしてボランティアすると言うのも疲れる。

若い職員達は受付業務をするときは椅子に座っていて、
時々暇になると街頭に立つくらいなので良いかもしれないけれど、
高齢化しているボランティアたちのことを考えると、
これからはどういうことになるのだろうかと、
少し心配になる。

献血結果は、
42人の人が受付したけれど、
採決出来た人は34人。

朝から雨が降っていた割には、
沢山の人が協力してくれたと思う。

2014年11月1日土曜日

「健康フラダンス」 発表会 2014

今年の「健康フラダンス」の発表会は
11月1日と2日の土、日曜日でした。

「ククナ・オ・カ・ラ」による、"フラ・オ・マキー"

1日の北千里地区での発表会は、
「一番最後なので好きなだけ踊ってもいいです」とは言われていたけれど、
そういわれてもそんなには踊れない。
舞台が小さいので全員で踊ることはなかなかできなくなって来たけれど、
2つのグループが交互にドレスを替えながら踊るには、
丁度良い大きさかもしれないとは思う。

発表の時間はほぼ時間通りに始まり、ほぼ予定していた時刻に終れた。

「スィート・サン」による "パパリナ・ラヒラヒ"

2日の勤労者会館で行われた吹三地区公民館の文化祭では、
やはり一番最後のトリ。

公民館の方からは「ドレスが華やかで映えるから最後にふさわしい」
と言われているとのこと。
確かに・・・、
「健康フラダンス」は踊りもさることながら、
ドレスは見た目を華やかにしている。
少なくともドレスの華やかさはイメージとして残るかもしれないから。

前日、
時間が余るかもしれないので、
アンコールをしてもらえませんか?と連絡が来た。
いつも一番最後に全員で華やかに踊って終わるように構成しているので、
音楽のコンサートみたいに軽い曲をアンコールとして簡単に踊る、
というわけにはいかない。
せっかくの御依頼だったけれどお断りしなければならなかった。

出番は13時だったので、
朝家で出かける用意をしていたらメンバーから電話があり、
「まだ3番目のグループなのに、もう30分も出番が早くなっています!」
\(◎o◎)/!

ジャッキーによる、"プア・オ・カ・マカハラ"
母からのお下がりのドレス、です。
以前、早い時には1時間半近くも出番が早くなっていたので、
今年も同じようになるのかもしれないと覚悟はしていたけれど、
30分位、早くて1時間との読みは間違っていたかも・・・と、
急いで会場に行くと、
プログラム通りの予定時間になっていた。
前の二胡のグループが時間調節をしてくれたようだった。
司会の人も調節するのに大変だったとは思う。
良かった。
 (^_^)


発表中はそれなりにいろいろあったけれど、
一年かけて練習してきた成果を発表し、
皆、ほっとしたようだった。

お疲れ様でした。

m(_ _)m


我が家の、中国から来た留学生のワンチューが
カメラマンとして写真を撮ってくれました。


☆ ☆ ☆
一番最後に出る人を、
「とり」と言うのは何故なのか不思議に思ったので調べてみました。


2014年10月12日日曜日

市民体育祭 2014

大型の台風19号が関西に上陸するかもしれないと言われていた前日の12日、
恒例の市民体育祭が開催された。

今年ボランティアとして体育祭に参加してくれる留学生は「卢烷楚」と言う名前なので、
パンフレットに書いてもらうためにいつものように早めに名簿を提出した。
にもかかわらず、
パンフレットの名前の欄には「留学生」と書いてあるだけ。・・・・・(-_-;)  
印刷屋さんの字体にはどうも彼女の名前の漢字がなかったようだ。


中国にも運動会はあるけれど、賞品が出るのはないとのことで、
綱引き、飴喰い競争等、楽しんで出ていた。
日本語が堪能なので、
係の他の人達とも意思疎通が良くできたせいか、
彼女が競争に出た時には係のテントの下から応援の声援と拍手が沸き起こった。
(^_^)v



雨が降ることもなく体育祭は終わり、
暑くもなく寒くもない一日で、
快適に参加できて良かった



2014年10月8日水曜日

母に贈る言葉

お母さん、

私を産んでくれ、育ててくれてありがとう。  
一緒にいられたのは、
私が高校を卒業するまでの18年間でした。
その後はお正月やお盆など帰省したとき、
年に数日を共に過ごしましたね。

広沢の家に帰ってくると、
最初の1週間位はお互い久しぶりということもあり
楽しく過ごせたのが、
大したことではないことで、
時々意見が衝突するようになりました。
なぜなのでしょう。
お互い「我」が出てしまったからだと思います。

その点、久子姉さんとは喧嘩することもないようだったので、
いつも少しうらやましく思っていました。
久子姉さんとは約55年間、
人生の3分の2近くを一緒に過ごし、
亨兄さんや、孫になる義哲・里香夫妻の家族に囲まれ、
生まれ育った地域で過ごせたことは、
あなたは本当に幸せだったと思います。

昨日、あなたの箪笥の引き出しの中に、
私の小学校1年生から高校生までの成績表が
まとめて保存してあるのを見つけました。
悪くはないけれど、
とびぬけて良いとも言えないその成績表を通して、
あなたは私の何を見ていたのでしょうか?  
いつも見守ってくれていて、ありがとう。

今年の7月に危篤という連絡を受け、
大阪から飛んできました。
私が病院に着くころは危篤状態を脱し意識が戻ったので、
また元気になると思っていました。
学生時代はバスケットをしていて、
体も大きく丈夫だったので、
おじいさんと同じように90歳半ばまで
元気でいるのだと思っていましたから。
でも、
2度3度と危篤の連絡を受ける度に
段々と痩せ細っていくあなたを見ていたら、
一抹の不安がわいてきました。
それでも、最後まで意識をはっきり持って、
いろんなことに気を配っていたことは、驚きです。

とうとう最後のお見舞いになってしまった9月末の時には、
もう痛みや苦しみから早く解放してあげたいと、
私も思うようになっていました。

そして、
今は痛みも苦しみも感ずることはなくなりましたね。
良かったですね。

もう孫がいる私にとって、
お母さん、
あなたの存在がこんなに大きなものだったとは思いませんでした。
親ですからいつかは先にあの世に行くのは「定め」とは思っていましたが、心のどこかにまだまだ元気に生き続けていってくれると思っていたのです。
喧嘩するのも仲の良い証拠と人はいいます。
こんなに早く行ってしまうなら、
もう少し頻繁に会いに来ていたらよかったと、
あなたがいなくなってしまった今、
心の中で反省しています。
お母さん、ごめんなさい。

そして、時々小さな喧嘩はしたけれど、
私の人生したいようにはさせ、
見守ってくれたあなたにとても感謝しています。

昨夜のお通夜は、
孫である義哲、竜馬、千尋、あなたの好きな若者に囲まれて、
思い残すことはないでしょうね。

この広沢が私の故郷であるのと同じように、
あなたは私の故郷でした。

お母さん、いろいろ、いっぱい、ありがとう。



2014年10月8
奇しくも今日は皆既月食の日だそうです。
あなたはこの月を、どこで見ますか?


あなたを大好きな、美緒子より

また、会いましょう・・・。


2014年8月11日月曜日

ITC 卒業のご挨拶 


「ご機嫌いかがお過ごしでしょうか?

私、
前期2013-2014を持ちまして、
ITCを卒業することにいたしました。

ITCに参加させていただき、
皆様には色いろなことを教えていただき、
また、時としてご一緒に活動させていただき、
大変勉強になりました。
ありがとうございました。

ITCでは2 7年間学ばせていただきました。
昨年度の世界大会のスピーチコンテストでファイナリストとして残ることもできましたので、
自分としてはITCを卒業することに
充分な理由ができたと思っています。

これからは、
ITCで学んだことも生かしながら
ゆっくり、楽しく活動していこうと思っております。

皆様にはこれまでのお付き合いにお礼を申し上げます。
またいつか、どこかでお目にかかれることを楽しみに、
卒業の御挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。

皆様のご健康、ご活躍をお祈りしております。」



月に1回とはいえ、27年間通い続けたITCを卒業することにし、上記の御挨拶文をメンバーの方々にお送りした。

ITCを初めて知った時は、英会話のクラスだと思い、帰国してから英語を使わなくなり始めた生活に少しでも英語を忘れないようにするために参加したのだけれど、英会話のクラブと言うより、英語を使って実社会で役に立つグループなどの運営の仕方を学びつつ、自分で勉強するところだった。

会員の人達は、それぞれが光るものを持っている、また前向きな人たちばかりで、そういう人達に褒めていただいたり、叱咤激励されたりされた中で、自分が少しずつ成長しているのが実感できた。
それでも27年間ともなると、マンネリ化や、毎月の英語での宿題が歳と共に負担に感じられるようになってきている自分もいた。

そんな中で世界中のクラブから選出されたスピーカーによるスピーチコンテストがハワイで行われ、そのコンテストに出場できることになった。世界中から選ばれた20人近くのスピーカーの中で、母国語でない英語で最終予選の6人に残れたことは、思ってもいなかったこともあり、自分に少し自信を持もつこともできた。

また、ITCと言う組織が、"PowerTalk"というブランド名で歩き始め、組織の内容も少しずつ変化してきている中で、最初のころが懐かしく思われると言うのは、私が最近のその組織に合わせられなくなってきている、と言う感じもどこかにあったので、丁度良い機会だと卒業に踏み切ることができた、とも思う。

ただ、何も知らなかった私が、それなりにいろいろなことを知るようになったのはITCのお蔭もあり、まだITCを知らない方々には、是非参加されることをお勧めしたい。

ITCありがとう! 
m(_ _)m
ますますの発展を陰ながらお祈りしています。