2015年7月15日水曜日

ギリシャ訪問 5-1 「アテネ」

ギリシャに旅行に行くと言うと、
「何で、今、この時期に?」
と、聞かれることがありました。

わざわざこの時期を選んだわけではなく
行くことは1年前から決まっていたのです。

ギリシャ危機のニュースの際によく出てきた
国会議事堂
ギリシャがEUから離脱するのかどうか、
借金を返すためのお金を工面できるのかどうか、
という「ギリシャ危機」になるなどとは、
露とも思っていませんでした。

議事堂の前にある、400年間のトルコ支配に終止符を打った
独立の際亡くなった「無名戦士の墓」の碑と
それを守る衛兵。
ギリシャの国はあくまでも空は青く、
太陽がサンサンと照り、
見た限りでは人々は明るく、
観光地には観光客が沢山見受けられました。

銀行のATMの前に並ぶ人。
ニュースで見たような行列はほとんどなかった。
買物に出かけたときに、
沢山の人が集まっているのに出会いました。
これから国会議事堂までデモをするとのことでした。

集まった人達は仕事帰りのようで、
出発するまで和やかそうに話しているのが印象的でした。


時間になったので皆が歩き出し、
車のスピーカーからデモのスローガンが叫ばれると
皆が一斉に口をそろえて言うのは、
どこでも同じだと思いました。


ギリシャ料理のお店のことをギリシャ語で「タベルナ」と言います。
日本語の意味に考えると変なことになってしまいますが・・・。

ギリシャ語には意味は違うけれど
発音が同じような言葉が意外とありました。

モナスティラキ広場のそばにある
タベルナの「タナシス」にて
モナスティラキ駅のそばで夕食を取りました。
メインのケバブもおいしかったけれど、
付け合わせのポテトが柔らかくて、とてもおいしかったです。

パンみたいなものの上に乗ったケバブ。
(^_^)v

無名戦士の墓の前で、衛兵が持ち場を替える「交代式」

2015年7月14日火曜日

ギリシャ訪問 4 「サントリーニ」

ギリシャを紹介するポスターの多くには
白い壁の家と青い屋根のドームが写っているいます。

何故か、白と青のコンビネーションに惹かれて、
ギリシャに行ったらぜひ寄りたいと思ったのが
「サントリーニ」でした。


アテネからはエーゲ海の
南に向かって進む高速フェリーで4時間半かかります。

島全体は普通の茶色っぽい色ですが、
建物が真っ白く塗られていて、かわいらしいのです。
島の名前がサントリーニで、
白い建物群と青いドームがあるのは
"Oia"と書いて「イア」と言う場所です。

町の中を歩いている人はほとんどが旅行者で、
旅行者を入れないで写真を撮るのは一苦労でした。

島の周りの海とドームの色は、同じような青でした。

イアの町と、中央部にかすかに見える風車を前に、
日焼け止めが目に入るので、一生懸命目を開けで記念写真を撮りました。

日中は30℃以上になっていてドライで汗をかきにくいとはいえ、
太陽の陽差しがとても強く、
日焼け止めを久しぶりに塗りすぎたのが目に入ってしまったので、
イアで撮った写真は目がちゃんと開けているのは少なくなりました。

また、イアの夕日は有名で
町をほの明るく照らす時が何とも言えず美しいと
多くの人が写真を撮ろうとするので、
写真を撮る場所は歩けないほど混雑していました。

太陽が沈む直前のイアの町。


サントリーニの中心となる町"Fira" フィラに宿を取りました。


石が多く取れるのか、丸く黒い石が埋められた通路

崖の上にあると言えるフィラの町から580段の階段を降りて行くと、
オールド・ポートと言う昔からの港に着きます。
その階段は、
港からフィラの町まで馬やラバが人を乗せて上る観光名所にもなっています。

港近くの階段にはたくさんの馬が出番を待ってたむろしているので、
馬に慣れていない私はそばを通過することができず、
一緒に行ってくれる人が来るまで、待たなければなりませんでした。

港から町まで帰りはケーブルカーに乗りましたが、
2,3分で上に着いてしまいました。



フェリーに乗ってアテネに戻るときには、
油断して1時間に1本のバスに乗り遅れ、
なかなか来ないタクシーを待つ羽目になり、
やっと来たタクシーを若い女の子たちに横取りされそうになったけれど、
目的地が同じと言うことがわかり、
吹っかけられたタクシー代もシェアでき、
かえって仲良しになれました。

フェリーも時間通りには来なくて心配しましたが、
無事、アテネには戻れました。

(^_^)v


2015年7月12日日曜日

ギリシャ訪問 3 「メテオラ」

結婚式の次の朝、
アレックスが迎えに来てくれ、
彼の運転する車でメテオラに向かいました。

「メテオラ」とはギリシャ語で「空中に浮いている」という意味だそうで、
大きな岩山の上に修道院が建てられていることで、有名だそうです。

カランバカの町の手前から望む、
メテオラ
左の岩山の上に建つオレンジ色の屋根の建物が、
アギア・トリアダ修道院

565メートルの岩山の上に建つアギア・トリアダ修道院に行くには、
今は舗装されていて歩きやすくなっている、
とはいえ、
岩山の階段も130段あるので、それなりの準備が必要。

荷物を載せる台と、
それを引き上げる縄を巻きあげる道具

必需品などの物資は、
建物から荷台を縄などで下の地面まで吊り下げ、
調達していたとのこと。

修道院から見下ろした、カランバカの町
アギア・トリアダ修道院に住みつく猫
修道院はメテオラのあちこちの岩山の上に建っていて、
それらを訪れるには
ガイドブックに依ると歩いても行けるようでした。
(私も、最初の予定では、歩くつもりでした)

しかし、
修道院自体にたどり着くには岩山の下まで歩き、
また修道院までの階段を上らなくてはならないし、
カラリとはしているとは言え30℃近くの暑さの中を歩くことになるので、
身体に相当自信がないと、無理ではないか・・・と、
車に乗せてもらいながら、考えました。

歩いて行こうと思う方は、
特に夏は、相当の覚悟がいると思います。


メガロ・メテオロン修道院にて アレックスの家族と
アレックスの奥さんはとても気さくで、
話しやすい人でした。

車に同乗させて頂き
ありがとうございました。
おかげさまで、
メテオラを快適に楽しむことがてきました。

 m(_ _)m


2015年7月11日土曜日

ギリシャ訪問 2 「結婚式」

結婚式を挙げる場所は、
避暑地として使われるような山の奥なので、
家族の人たちも道がよく分からず
迷いながらやっとたどり着きました。

ビラと呼ぶ、貸別荘のような家を
クリストスの関係者が使うように一軒丸ごと借りてありました。
私には通訳の為に、
クリストスのいとこがついてくれていました。

ニキ、お父さん、お母さんの兄弟、ニキの義理のお父さん、クリストスの先生、マリアンナ、私、ニキの夫

結婚式の前夜は
お互いの親族が夕食を共にするとのことで、
細長いテーブルを囲んで座り、
御馳走が次から次に運ばれてきました。

食事も終わりに近づいたころ
嬉しさのあまりなのか、お父さんが感極まって涙を流し、
クリストスになだめられていました。
お母さんはいつものように静かに孫の世話をしたりしていたけれど、
母親が泣くことが多い日本との違いに、
内心驚きました。

自撮り棒での撮影




結婚式は、
昔ながらのギリシャ式の結婚式とのことでした。

式の直前、
新郎側の関係者は新郎がいる場所に集まりました。
私が到着すると新郎は半パンに普段着のシャツ姿。
(-_-)?

すると、
彼が私の手を引いて入った部屋にはカメラマンが控えていて、
普段着の彼と私とで写真を撮るのです。
(-_-)??

関係者が順番に写真を撮り終わると
新郎が小さなホールに出てきて
おもむろに着ている服を脱ぎだしました。
(@_@)!???

パンツまで手をかけたけれど、
さすがそれは脱ぎませんでしたが・・・
(@_@)!????!

それからは、
新郎がまわりを取り巻いていた関係者の男性の中から
一人を選びシャツを着させて貰いました。
次の人にはズボンをはかせてもらい、
また次の人にはネクタイ・・・、靴下・・・と
次々につけて貰うのです。
(@_@)

新郎が結婚式の正装に出来上がった時点で、
ご両親を含めた近親者が輪になって踊りを踊りました。

ひとしきり踊り終わると、
皆でぞろぞろと式場になる教会に歩いていくことになりました。

式を挙げるのは、白い小さな可愛い教会。
参加者が200以上いると思われるのに、
式に参列できたのは50人ほどでした。

小さいので、全員が入れなかったのです。

ペルトォウリの教会

教会の内部は聖者の絵がたくさん描かれています。
ドレスアップした人々が厳かにたたずんでいる中で
粛々と進む式次第は、
美しく、
まるで映画の一部のようにも感じられました。

教会の中で、式の真っ最中

私はこの日の為に着物を日本から持参しました。
とはいえ、
自分で着物を着ることは何十年していなかったので、
日本を出発する1カ月ほど前からyoutubeで
着付けの練習をしたのですが、
どうも不十分だったようです。

それでも、
本物の着物を見たこともない、
また言葉も通じない
ギリシャの人たちの手助けで、
Youtubeを見ながら、
汗をかきながら、
どうにかこうにか帯もつけることができました。
(^_^)v

草履を履く練習もしていたのですが、
足袋を履いての練習はしていなかったので、
足袋を履いた分足指が圧迫されることは
予定にはありませんでした。

その足指が圧迫された状態で
式が行われている1時間弱立ち続けていたため、
式が終わった時にはあまりの痛さに歩けなくなってしまいました。
(しばらく休んだら少しあるけるようにはなりましたが。)

クリストスのお母さんと
着物を着た人を見るのは初めてという人が多く、
私を見て「ゲイシャ」だと言うのです。
(@_@)

「芸者はエンターティンメントの仕事をする人で、
私は単に着物を着ているだけの人です」と
何人かに説明しなければなりませんでした。
(-_-;)


式の後はパーティ会場に移動しました。

新郎新婦を待っている間に、食事が次から次に運ばれてきます。
皆が食べ終わる頃
音楽隊が音楽を奏で始めたら、
新郎新婦、ご両親等が手を繋ぎ、
踊りながら入ってきました。

それからは、
踊りたい人も加わって踊りの輪が大きくなりましたが、
新郎新婦はずーっと休みなく踊り続けるのです。
日本の新郎新婦みたいに
おとなしく座り続けているのとは
ずいぶん違うものだと思いました。

体力的に大変だとは思いますが、
皆と一緒に踊るのは楽しい思い出になります。


クリストスの友達で同じくドイツで働いているアレックスが横にすわりました。
彼は家族と車で来ていて、
明日はメテオラ見物に行くというので、
同行させてもらうことにしました。
(^_^)v

踊りは延々と続き、
いつ終わるのかと通訳してくれているいとこの人に聞きましたら、
皆が疲れたら終わる、とのことでした。

足の痛みも少し薄れたので、踊りの輪に少し加わってから、
部屋に戻りました。23時を過ぎていました。

幸い、着物が着崩れることは免れました。
(^_^)v

2015年7月7日火曜日

ギリシャ訪問 1

昨年我が家に滞在したギリシャ人のクリストスから
結婚式の招待状が届き、
ギリシャを訪れることにしました。

彼の生地はハルキダ(ハルキス)ですが
式場のあるペルトォウリは
日本の軽井沢のような感じの場所で、
深い深い山の中です。


ご両親は家から式場まで車で行かれるとのことで、
私も同行させていただくことにし、
ついでにホーム・スティもさせていただきました。

橋の手前のこちらがハルキダで、向こう側はアテネ。
クリストスのお母さんと
家は海まで歩いて数分の所にあり、
繁華街までも歩いていける距離の、
とても便利な、住みやすそうな場所です。

お母さんはお料理がお上手で、
頂くお料理はほとんどが初めての物ばかりでした。

フェタ、ギリシャサラダ、ザジキ
この後、小魚のフライのようなものなど海鮮のお料理が続きました。

日中はとても暑く、私の滞在中も連日30℃を超えていました。
湿度が低いので日陰にいればそれほど暑く感じないので、
お食事もほとんどベランダで頂きました。


街中の物価は、大阪に比べて、安く感じました。
特に果物は安く、私の大好きな赤黒いアメリカンチェリーは1kgで200円くらいでした。
(@_@)  (^o^)/


家の中では、部屋のドアのカギ穴には鍵が差し込まれたままで、
そのカギでロックしたりロックを解除したりします。
ホテルでも同じようでした。


折しも、ギリシャ危機の真っただ中。
どんなに混乱しているのかと想像しながらギリシャに着いたのですが、
ギリシャの人々は明るく、屈託なく生活しているように見受けられました。

クリストスの御両親はとても親切でした。
通訳として傍にいてくれた妹はクリストス似の親分肌でしたが、
お兄さんには頭が上がらないようでした。
結婚式の準備も、
「○○と××をしておくように!」と電話で指示があり、
「彼は監督しておくだけだ」とぼやきながら
せっせとプレゼントの小物作りに励んでいました。
(^_^)
それだけ、仲の良い兄妹なのだと思いました。