2007年12月21日金曜日

大阪見物


娘の友達の「まゆみさん」がカナダのビクトリアから一時帰国。京都や大阪の友達を訪ねる合間に一緒に食事をすることになった。



大阪の心斎橋で会って「梅の花」で食事をし、それから心斎橋筋を南に歩きながら案内したけれど、私にとっても久しぶりの心斎橋で、案内というより二人で見物という感じになってしまった。



途中「道頓堀極楽商店街」という、昭和初期のような町並みを再現した所が、女性に限って無料では入れるとのことで見学した。中は食べ物やさんが多く、時間的なものもあるのかほとんどが女性で、閑散としていた。



まゆみさんは勤め先の会社のオーナーが代わるので、有給休暇を消化しなければならなくなって、約1か月の休みを取って、日本に帰ってきたという。

2007年12月19日水曜日

忘年会

恒例の、クリスマスパーティを兼ねた忘年会をした。

各人がお料理を持ち寄る「ポトラック・パーティ」。
お鍋に入れたおでんを持ってきてくれた人、来年の御節用のおかずを持ってきてくれた人。近所で評判といわれるものを買ってきてくれた人。
私は、生春巻きと、おにぎりと、ケーキを作った。

Martinは、肉団子とポテトサラダを作ってくれるはずだったのに、学校で昼寝をし過ぎて、帰宅時間が大幅に遅れたため、肉団子だけを作った。
スェーデンでは特別なジャムを使って食べるらしいけれど、そのジャムが日本では手に入らないので、彼特製の肉団子とのこと。ひき肉に玉ねぎ、椎茸、パン粉とミルクを入れ、ココナッツミルクのソースの中で味付けする。ちょっとクリーミーな肉団子シチューという感じ。

食後のデザートは、ケーキと、スェーデンのワインを温めその中にレーズンを入れた物。ある人達の感想ではワインは養命酒みたいな感じ、とのこと。すこし、ハーブっぽいような気が、確かにした。それにスェーデンのジンジャークッキー、これは薄くて食べやすかった。

プレゼント交換をビンゴでした。
家の不用品でいいけれど、余りに不要なものは誰も欲しがらないので、そこそこ欲しがるような物から家宝まで、受け付けることにしていた。

Martinのアラスカからの友人2人と日本人8人。
辞書を引きながらの会話も弾み、それなりに楽しんでもらえたようで、喜んでいる。

ただ、写真を撮るのを忘れてしまい、とても残念。
(×_×) 

2007年12月15日土曜日

オーディション

11月23日付けの朝日新聞に、「ミュージカルで触れる『憲法』 市民100人 出演者募る」との記事が出ていて、何故か知らないけれど、応募してみようと、即座に思った。
6月に演じた「ジャクリーン・ケネディ」の役を褒められたのと、宝塚張りのお化粧をするのが気に入ったことが、大きな理由かもしれない。どんな役があるのかは知らないけれど、募集は6歳から70歳までの男女 100人だというので、ひょっとすると受かるかもしれないし・・・。

オーディションとはどんなものなのかと心配しながら「喜連瓜破」にある会場に着いたけれど、家から練習場が遠いということに気がつき、本当に30回近い練習に通えるのかと思うと、参加するのをどうしようかと、心がぐらつきだした。けれど、会場のドアを開けて入り、前の人たちの熱の入った自己アピールを聞いているうちに、「やはり、参加しよう」と、改めて決心した。

物語は「フィリピンで旧日本軍の性暴力を告発した、トマサ・サリノグさんのお話」。

100人募集したところが、130人近くの応募が有ったようだ。
落ちるのを心配していたら、「応募者全員合格」との条件が、最初から有ったらしいとのこと。
応募人数が多かったので募集は終わったけれど、20~30代の男性数が少ないので、該当する人の応募は受け付けるとのこと。
憲法記念日に向けての公演も決まっているそうで、こうなったら、頑張るしかない。

帰る道に迷って、駅の名前を近くの人に聞いた。「ウリ キリワリの駅はどこですか?」
「喜連瓜破(きれうりわり)」と言う駅名が、頭の中で「切れ 瓜 割り」になっていて、挙句の果て「瓜 切り割り」になってしまっていたらしい。

2007年11月23日金曜日

勝尾寺ハイキング (第4回) 2007


9:30   北千里駅集合
9:40   北千里出発
10:40  帝釈寺
12:15  勝尾寺入山
14:00  勝尾寺出発
14:15  ビジターセンター
        箕面の滝
        阪急 箕面駅
16:00  千中行きバス乗車
16:30  千中
17:00  帰宅
        カレーパーティ
21:30  解散

参加者: ニック、エディ、シン、チェルシー、アンドリュー、マーティン、クリス、先生のキャサリン、チップ、それにMとジョイの合計10人と1匹。

ジョイは何か感じるらしく、
家を出る前から北千里駅に着くまで吠えまくっていた。

お天気も良く、皆、時間通りに集合。
今回は、今宮の近くから西国街道に入り、
勝尾寺参道門の鳥居をくぐり帝釈寺で休憩。
いつもの山道を行く。
4回目ともなると道も覚えて来たらしく少し余裕がある。
寒くなるかと思っていたけれど、それほどでもなく
暑くなって半袖になった人も居た。
学生は元気一杯。

勝尾寺のもみじは美しかったけれど、いつもの感動はなかった。
勝尾寺のもみじに慣れてしまったのか、
それとも今年は4日程前まで暖かったせいで、
色の染まり方がまだ十分でなかったせいなのか・・・。

勝尾寺の池は改築の工事中だった。
来るたびに立派になっていく。

箕面の滝は相変わらず混雑していた。
「もみじのてんぷらはおいしいですか?」と聞かれたので、
「まあまあ・・・」と答え、一袋買って皆に味見にあげたけれど、
私は食べる気にはなれなかった。

帰宅後「カレーパーティ」。
カレー用のご飯が炊き上がっているかと思ったら、
大きいほうの炊飯器はタイマー設定が出来ていなくて、
あわててスイッチをオンする。
皆、おなかが空いているのでとりあえず小さいほうのお釜のご飯で食べ始めた。
それでも、皆が食べ終わってから5分ぐらいで大きいお釜のご飯が炊けたので、一安心。
15人分のカレーを作ってあったけれど、
先生方は帰られていたので、若者7人でほとんど食べ終わった。

食後はトランプをした。
「神経衰弱」は”Memory”
「ばば抜き」は”Old Maid”
「7並べ」は”Seven”
カードをShuffleしDealして、楽しんだ。
最後に”Egyptian Rat’s Screw”とか言うのをしたけれど、
“Face Card(AとJ、Q、K)”のときの出し方に特徴があり、
また、同じカードが二枚続いたときにはカードの上を一番先にたたいた人がそれまでのカードを取れるということで、学生たちが夢中になってバンバンたたく。
痛そうだったから、参加するのはやめておいた。
皆、20歳を過ぎたばかり位の若者で、
それぞれ個性はあるけれど、気持ちの良い若者たちだった。

ジョイは元気に全行程を歩き通したし、
皆が帰るまで興奮したままだった。

2007年11月21日水曜日

裁判員制度


2001年5月までには行われる「裁判員制度」に向けてのシュミレーションとして、「模擬評議」というものを裁判員役になって経験した。
DVDで裁判のドラマを見て、それから裁判官達と裁判員役の人たちとで評議(議論)をする。
何が事実て゛、問題点は何で、議論をして判定を下す、という一連の作業。考えさせられることも多く、とても勉強になった。

ただ、裁判員として選ばれた人に「お越しください。勤めていただく」等、文中では丁寧に書いてあるにもかかわらず、来て貰うのは「呼出状」で、「出頭」するようにとのこと。
今までの、お上意識がまだ抜け切れていないのだと、感じられた。
裁判員制度に向けて走り出した以上、裁判員に皆がなりたいといえるような日が早く来るように、人々にとって良い制度になってほしいと願う。

2007年11月1日木曜日

落 語

月亭八光、桂 春菜、桂 雀雀の落語を聴いた。

八光は「はちみつ」と読むそうだ。
桂春菜というのは女性かと思っていたら、ハンサムな若者だった。
桂雀雀というのは、今回名前と顔が初めて一致した。

落語のことは良くわからないけれど、
この道10年、20年、30年とやってきている割には・・・。
特に、桂雀雀の話は「ぜんざい屋が国営化」される話も含めて、
もごもごした話し方と大阪弁と、今までの落語家のことを知らないと良くわからない部分があり、今一わかりにくかった。

2007年9月1日土曜日

「故宮博物院」 台湾

「故宮博物院」 世界4大博物館の一つだそ­うで、歴代中国皇帝のコレクションを中国の­故宮から持って来たもの。  
中国最後の王­朝・清が倒された後中華民国政府が受け継い­でいた。その後、民国政府は日本軍の攻撃­を避け保存していたが、日本軍の敗北のあと­国共内戦に国民党政府は敗北したため、台湾­に逃げるときに多くのコレクションを持って­きたという。

日中はとても暑かったが、故宮の中は冷房が利­いていて快適だった。沢山の陳列品で、足早に歩­いて見ていても2時間近くかかった。白い手すりと青い屋根のコントラ­ストがとても美しい。手すりは木で作られているよ­うで白いペンキが塗ってある。中国の故宮の­手すり等は確か、大理石だったように思う。
故宮の中、南西に建つ建物

2007年8月4日土曜日

Whale Watching 「鯨見物」

Mさんとホェールウオッチングにいく。

Nasaの服みたいなのを着て、ゴムボートに乗る。
途中アザラシとか、鷲とかを見ながら行く。

最初に鯨を見たときには、ひれの部分がマッチ棒くらいの大きさ。それでも見られたと喜んでいた。
でも、それだけなら水族館のほうがいいのでは・・・などとも思ってもいたが、しばらくするうち、鯨のグループが居るのを見つけ一緒に移動する。
鯨は母系家族とか。

最終的には100mぐらい近くで見られたと思うけれど、海のことなのでもっと遠いかも。
想像していたよりは遠くでしか見られなかったけれど、見られない日もあるということで、ラッキーだった。
正味4時間。後半は船酔いして気分が優れず。

夜、Eのお家で夕食をご馳走になる。
6名中4名がアレルギーとのこと。
中の二人はお砂糖もアレルギーで、食べるとテンションが変わり、疲れるとのこと。
お砂糖にもアレルギーの人が居るというのは初めて知った。

2007年7月28日土曜日

ベビー シャワー

娘の友達のYに来月赤ちゃんが生まれるので、その「ベビーシャワー(お祝い)」に付いていく。

Yは日本人だけれど夫のSは中国人で、中国人の親戚がいっぱい集まっていた。
Yには内緒なので、外出から帰ったときに驚かそうという算段らしい。
Sの両親が、甲斐甲斐しくお料理を作ったり、テーブルセッテングしたりしていた。
巻き寿司も作っていた。
日本とはちょっと具が違い、アボカドやパパイヤもある。
パイナップルを入れる家もあるとか。
今度私も試してみようと思う。



Yが帰ってきてドアを開けたときに、皆がいっせいにお祝いを言ったり、写真を撮ったりしていた。
プレゼントも用意されていて、Yもうれしそうだった。
日本のお母さんは赤ちゃんが生まれてからくるという。
嫁・姑の問題は何もないとのこと。

Yさん、おめでとう。

かわいい赤ちゃんを産んでください。

2007年7月27日金曜日

夕 食

娘の友達のEの家に夕食に招待され行く。

オーク・ベイといって、お金持ちのお年寄りが多く、高級住宅地らしい。
お母さんは40数年前に、貨物船に乗って渡米したという日本人。40数年前といったら、まだ、男の人でもほとんど外国には行くことがなかったような時代だったので、よく行かれたと思う。優しそうな人だった。

お母さんの再婚した相手は英国出身の人で、元校長先生をしていたとか。
夕食はそのお父さんが作ったもので、青豆のスープ、サラダ(何故か沢庵入り)、鮭のステーキチーズかけと野菜とご飯。デザートにメレンゲを焼いたのとブルーベリーのムース。
ちょっとしたレストラン並み。おいしかった。
日本のお父さんでこれだけしてくれる人はなかなか探しても居ないかも。

食後の紅茶はEが入れたので、お母さんはお話をするのが主だった。
日本の女性から見たら本当にうらやましい家庭だと思う。

2007年7月24日火曜日

プール

娘を会社まで送り、帰り道にプールに寄る。

クリスタルプールというところで、オゾンを使用しているとかで、水がきれいらしい。

大きなプールのほか、子供用のプール、ジャクジー、サウナ、スチームサウナ、それに自転車漕ぎみたいな道具を使ってする練習所まである。
大きなプールは、縦50メートル、横25メートルのプールで、深さは片方の端は1.25メートル位だけれど、反対側の端は3メートルぐらいあり飛込みができるようになっているらしい。

夏休みにもかかわらず、泳ぎに来ている人数も、大人子供合わせてもそれほど多くなく、ゆったり泳げる。

車椅子に乗った体がほとんど動かないらしい人が、水に入りに来た。 体は勿論、手や足に浮き輪をつけ、プールに取り付けられた椅子に座らせてもらい、介助の人に少しずつ水の中に入れてもらっていた。
完全に水に入ったら、介助の人が頭のところを抱えるように持って、深い方へ連れて行っていた。

2007年7月12日木曜日

コロンビア大氷原

朝一番のバスに乗りコロンビア大氷原を見学してきました。

ツアーの申し込み所から9:30のバスに乗りました。運転手が、「この場所で一番危険な場所は、目の前の道路を横断することです」と笑わせ、バスで少し氷河をあがったところまで連れて行きます。そこから飛行機のタイヤぐらいの大きさのタイヤをつけた雪上車で氷河の中腹に整備された見学場所まで連れて行ってくれました。氷河といわれる氷の下の一部は黒い岩肌らしきものが見えるところもありました。やはり氷河の上は寒いくらいでした。

大氷原とは言うものの、氷河の後退は痛々しいもので、地球の温暖化を感じました。


Columbia Icefield To Banff, Total distance: 191.8 km Estimated time: 2 Hours, 29 Minutes

2007年7月11日水曜日

Maligne Canyon


熊に襲われることもなく、無事朝を迎えた。

今日はコロンビア大氷原を目指して行く。
途中、メディシン湖、マリーン湖、マリーン渓谷に寄る。




メディシン湖は夏の間しか水がない不思議な湖だそうだ。

マリーン渓谷は水の流れる渓谷に沿って散歩道があり、水のしぶきを浴びたりしながら散策できる楽しい所だった。

ジャスパーに再度寄ってから、大氷原に向かう。


夕方にはコロンビア大氷原に着く
思ったより、氷河が小さくなっているのに心が痛む。
昔は左の写真のほとんどが氷河の一部だったそうだ。
氷河のそばとはいえ、連日30度を超える暑さが続いているので、涼しくて気持ちがいいくらいだった。


















Pocahontas Jasper Hwy-93 Total distance:150.1+

2007年7月10日火曜日

Miette Hot Springs, Jasper


Harisson Hot Springsを出発して、カナダのハイウェイTC-1号からHwy-5を走る。
カナダのロッキーマウンテンにあるジャスパー国立公園に入るところで、国立公園の入場料を払う。
国立公園はとても強く守られており、ジャスパーの町などは、住むのに許可が要るという。

ジャスパーの町を通り過ぎてしばらくしたところのPocahontasにキャンプすることにした。
ここの名前はディズニーの漫画から付けられたと、ガソリンスタンドの人が言ってた。
今回のKの目的のひとつは、温泉巡りなので、カナダにある国立公園の中の3つのうちのひとつに入るためにここまで来たのだ。

キャンプ場はさすが、これこそキャンプと言えるもので、キャンプの好きな人なら泣いて喜ぶかもしれない。けれど私は怖くて泣きたいくらいのところだ。
山の奥深く、電気はかろうじてトイレにあるくらいで、キャンプサイトにはない。
サイトの広さもちょっとした庭付きの家の広さはある。隣との境には10mも15mもするような杉みたいな木が生えていて、隣に誰か泊まるのかさえわからないほど。
係り員に依ると、数日前に熊が現れたから注意して、とのこと。
どう、注意すればいいのか、皆目見当がつかない。

車を降りたとたん、ものすごい蚊の襲来。100匹とも200匹とも数えることができないほどうじゃうじゃいる。Kが恐れていた蚊とは、このことなのだと、合点する。大きさは日本の蚊より一回り大きいかなという感じ。でも薄い茶色で見た目は怖くはない。刺されないように、体を動かしておかないといけないので、ダイエットにはいいかもしれない、と思う。

ここまできてキャンプするというのは、よほどの物好きだと思える。そのため、泊まる人も少なく、熊に襲われる確立は高そうだ。 (>.<)
キャンプの用意をして目的の温泉に行く。
Miette Hot Springs
屋外のプールが山の中に2つこじんまりと作られていた。ロッキーに囲まれて入る温泉プールはとても気持ちがいいものだ。
ただ、ここにも蚊が隙あらばと待ち構えていて、みな刺された後が赤くなっていた。
熊が来るかもしれないという恐怖心で夜は眠れないのかと思っていたけれど、旅と泳いだ疲れでいつの間にか熟睡していた。  
走行距離は 731.4km +

2007年7月9日月曜日

Harrison Hot springs, B.C.

Vancouverでにこやかに出迎えてくれたKと、 最初の宿泊地Harrison Hot Springsに行く。

Harrison Hot Springsも、温暖化のせいか最近雪が少なくなってきたとのこと。


カナダで初めて温泉に入る。

温泉と言っても、温泉のプール。

こじんまりした体育館と言う感じ。天井は木だった。
昼間だったせいか、入場者は数人。時として貸しきり状態にもなった。
温度も丁度良く、ゆったりした気分で泳ぐことができた。

キャンプをするためにHicks Lake Campgroundに行く。
キャンプは今まで3回位しかしていない。
最近ずーとしてなかったので、どうなることかと思ったけれど、ボーイスカウトのリーダーでキャンプ生活をした経験が思い出されて、それなりに役に立った。

Hicks Lake Campgroundは、ブリティシュコロンビア州のハリソン湖のそばにある。
水道の代わりに井戸があった。














2007年7月6日金曜日

何の動物・・・?

今回のカナダ旅行は7月9日に日本を出発して9月の3日に日本に帰国する予定。
アメリカのコロラドに住むKとバンクーバーで落ち合って、ロッキーマウンテンを彼女の車でドライブした後、娘の住むビクトリアまで行くことになっている。
Kは5月の末にコロラドを出発してアラスカまで行き、今はアラスカからバンクーバーに向かっている途中。
時々キャンプもしているそうで、先日はキャンプ中のテントに何かの動物がオシッコをかけたと言う。ロッキーマウンテンでも、メインはキャンプになるらしいので、「何の動物のオシッコだったの?熊でなければ良いけれど・・・」と、半ば冗談でメールを送ったら、「多分、ムース(ヘラジカ)だと思う。でも昨日はハイウェイのそばにいる黒熊を8回も見た。キャンプサイトは安全だと思うし、熊よけスプレーもあるから大丈夫だと思う」とのこと。
「大丈夫、だと思う」の一言が、少し気にかかる。 (-_-;)

2007年6月28日木曜日

Asia Miles


7月の旅行は、キャセイ・パシフィク航空で行くことになった。

マイレージを貯めるのは”Asia Miles”で、グループは「ワンワールド・アライアンス」とのこと。


キャセイ・パシフィク航空は初めて使う。
大阪事務所に連絡しようとしたら、東京の電話番号になっていたし、フリーダイヤルは何故か我が家のNTTの光電話ではつながらないし、SoftBankの携帯電話からもつながらない。(>_<)


やっと”Asia Miles”のメンバーになれたときには、2時間弱かかってしまっていた。(@_@)

2007年6月25日月曜日

国外運転免許証

7月からのカナダ旅行に備えて、国際運転免許証を取りに行く。

道を間違えたり、勘違いで大阪陸運局に行ってしまったりしながらもやっと門真の運転免許試験場に到着した。

以前行った時には古い建物だったのに、今は立派な新しい建物になっていた。

申請用紙には「国外(国際)免許証」と書いてあり、今は国外免許証と言うようになったらしいが、受け取った免許証の表書きは相変わらず、「国際運転免許証」だった。

2007年6月19日火曜日

Jacqueline Bouvier Kennedy Onassis


やっと終わった。 
 
長い道のりだった。

私の属しているITCのクラブの出し物として「ジャックリーヌ・ケネディ・オナシス」の役をすることになり、彼女の人生の出来事を英語で覚えるため、2月から暗記に取り掛かった。



発表には、知り合いの50個も帽子を持っているという人から帽子を借り、宝塚歌劇団の見習い程度のお化粧をした。これこそ本当の「化粧」ではないかというもので、いつもの自分とは違う自分を発見し、驚きながらも気に入っている。


ジャッキーとして80人程がいる会場に出て行くと、「わ~!」と言うか、「エー!」と言うか、どよめきがおこった。私がジャッキーの役をすることを知っている人は、あまりの違いに驚いたかもしれない。

演技中、3回ほどセリフに詰まった。演技に熱中して感情を入れると、"ポッ"と空白が出来、次の台詞が頭から消えてしまっている。相方やプロンプターに助けられ、無事役を終えたときには、"ホッ"とした。

ジャッキーらしく上品だった、ジャッキーのオーラが出ていた、良く台詞を覚えた、演技も上手だった、とか、いろいろ褒めても頂き、気分は上々。

ところが、お化粧を落とすクリーム等を持って行っていなかったので、服装は変えたものの、付けまつ毛を取っただけの顔で、打ち上げパーティに出て、電車で家に帰ってくることになった。

 (^。^)



"Jacqueline Bouvier Kennedy Onassis"通称"Jackie"についてはケネディ大統領夫人というくらいしか知らなかったけれど、今回の役で、彼女の知られざる一面を含め知ることが出来、相方の叱咤激励と共に、とても勉強になった。ジャッキーの役をして、ジャッキーの事を知り、いろいろ考えさせられることも多かった。


このような機会を与えてくださった皆様に、感謝しています。 


m(__)m

2007年3月16日金曜日

卒業式

末っ子の卒業式に行く。
梅の花も咲き終わって、もう春かもしれないと思っていたのに、琵琶湖の近くは風が強く、まだ冬は終わっていなかったのだと感じさせられる日だった。

大学4年間、大学院2年間。息子も良く頑張った。
振り返ってみれば、速かったようにも思える。
あとは、東京で頑張ってください。

2007年3月1日木曜日

携帯電話 SoftBank #3

Soft Bankの営業所に携帯電話の申し込みに行った。

先客が2、3人いたので、番号札を取って待っていた。
1時間程過ぎたのに呼ばれず、トイレに行きたくなったので店員に、
「そろそろ順番なのですが、トイレに行ってくるのでよろしくお願いします」と言うと、
「順番がきたら次の人を呼びますから、また新しい番号札を取っていただくことになります」とのこと!
慌ててトイレに行って戻ってきた。
それなのに、店員は私の顔を見たにもかかわらず、次の番号を表示してしまった。
店員に「今、戻ってきたのですけれど・・・」と言って様子を見ていたけれど、次の番号の人は来そうにない。店員が「今回は特別お話を承ります・・・」と言うので「ちょうど、次の人も来ないみたいですからね」と言ってやった。

White Planという料金形態で、毎月980円で話し放題とのことだったけれど、メールをしたり、インターネットをしたりすると最低でも3000円以上になってしまうらしい。インターネットをしないで、電話とメールだけを選んでも、支払いは最低2年間は2000円を越えることになるらしい。コマーシャルで受け取った「毎月980円」という感じとは少し違うことになった。

店員はまあまあ良く内容を知っていたので、安心は出来たが、待たされた上に、話を聞いたり申し込みをしたりするのに4時間近くかかっていた。

2007年2月28日水曜日

携帯電話 Soft Bank #.2

auの携帯電話を解約して、Soft Bankに新規契約に行く。

先日のお兄さんは、今日はお客の応対をしていなくて、他の店員の傍にいた。きっと、彼の説明は分かりにくいと言う人が何人かいたのだろう、応対要員にはなっていないようだった。おかげさまで私は、他の店員の説明で良く分かった。

ところが、私がいいと思った携帯の色は、もう黒しかないとのこと。取り寄せは出来ないというし、あるかどうかを他の2~3店舗なら聞いてあげるという。聞いてもらったけれど、そこでもないとのこと。あとは、自分でSoft Bankの営業店に電話して聞いてくれと言う。どうも、Soft Bankのお店は、横のつながりとかあまりないような感じがする。

家に帰ってあちこち電話した。約、20店舗。どのお店も、私の希望している色の携帯はない上に、機種自体が完売してしまっているところも多かった。これだけ完売しているなら、追加で作ったりすればいいと思うのだけれど、新規参入のSoft Bankはそこまで手が回らないのかも!?

仕方がないので、ネイビーの色があるお店に予約して、しばらくしたら取りに行くことに決めた。でも明日から3月になるのに気づき、明日行く事にし連絡しようと電話を何回もしたけれどつながらない。その間にだめ元で近くのお店に電話をして聞いたら、1つだけ白が残っているとのこと。ラッキー!!!あきらめなくて良かった。

というわけで、明日から、Soft Bankデビューです。
電話番号はauの時と一緒ですので、よろしくお願いします。

2007年2月26日月曜日

携帯電話 Soft Bank #.1

"Soft Bank"から「ホワイトプラン」なるものが発表され、月額基本使用量が980円で、同じSoft Bank同士なら、1時から21時迄、電話がし放題とのこと。980円でいつでも好きなだけ話せるなら、田舎の母のボケ防止のために、私も携帯を換えようと思った。
はじめは、「携帯なんて・・・」といってた母も、何回か電話で説明するうちに「覚えやすい電話番号にしてね・・!」なんて、携帯を持つことに乗り気になってきている。

近くのSoft Bankのお店に行って説明を受けたら、980円の基本料だけれど、携帯電話機自体がちょっと高額なので、それを24か月の分割にし、Soft Bankからの特別割引を受けても、月々2000円以上を支払うことになるとのこと。毎月、980円なら、あまり電話を使うこともなく、ましてや携帯を持つことなど考えていなかった80歳過ぎの母でも、持っても良いかもしれないと思うと思ってのことだったけれど、毎月2000円以上となると、考えてしまうかも知れない。
その日は説明も良く分かって帰ってきた。

今日、再度Soft Bankのお店に行ったら、まだ学校出たてみたいなお兄さんが「分割支払金は、OX※△・・・と、なるじゃないですか・・・?!」等々と説明する。「なるじゃないですか!」と言われても、なるかどうか計算もしないで分かるわけないし、大体、基本がどうなっているのかを説明してくれていないから、聞いているほうは「???」。分からないながら質問すると、こちらの情況を考えず彼なりの説明をするから余計深みにはまって、いよいよ分からなくなっていった。

あまりに分からなすぎるので、「もう少し、やさしく、基本から教えてくれる人に代わってもらえませんか?」と丁寧に言ったら「どこが分からないのですか?」とのこと。少しやり取りして、代わってくれそうもないので一生懸命「これは、こういうことですね!?」と確認しながら訊ねていたけれど、やはり分かるようには教えて貰えなかった。彼の立場もあると思い、無理には他の人には交代してもらわなかった。
でも家に帰ってから、せっかくお店まで行って尋ねたのに分からないというのは時間の無駄だったと思い、やはり分かりやすい説明をする人に代わってもらったらよかったと、私の気の弱さを少し反省した。

2007年2月18日日曜日

電 報



朝、実家の母から電話があり、「親戚の人が亡くなったので、電報を打ってください」とのこと。

電報を打つのにはどうすればいいのか忘れていた部分があり、郵便局のホームページを見に行ったけれど分からない。

そうこうしているうちに、電報はNTTから送るのだったことを思い出した。NTTからも自分で作ったデザインの物をメールで送り、プリントアウトして届けてもらえるようなシステムもあるけれど、それはまだグリーティングカードを送るようにはなってはいなくて、普通の資料用のA4の紙に印刷され、3つ折にされて届けられるらしい。このような電報では、まだ日本の一般社会では受け入れられないだろうと思う。

他も調べていたら、今では民間の会社でもNTTとほぼ同じように電報が打てるのが分かった。
費用はNTTの半分ほどなので、今回は民間のカード会社を使ってみることにした。

ほとんど会った事のなかった遠い親戚の人だったけれど、97歳なら大往生。
冥福をお祈りします。

2007年2月15日木曜日

アサヒビール工場見学


熟女6人と留学生3人で、アサヒビールの感謝イベントに参加し、工場見学とビールの試飲をしてきました。

1889年に設立されたという会社の、まずは宣伝を兼ねた説明のビデオを見て、それから工場内を見学。1分間に数百という早さで作られるビールの瓶詰めや缶詰を見て驚きました。
工場の中に林立する銀色の筒状の物は「発酵・熟成タンク」で、その中には、「1人の人が、ビール瓶一本を毎日飲み続けたときに4000年かかる量が入っている」と聞いて、ちょっと信じられないくらいでした。

最後にお楽しみのビール試飲があったのだけれど、残念ながらわれわれ一行の中にはビールが大好きな人はあまりいなくて、お代わりした人は2、3人、あとはコップ一杯のビールをやっと飲む人、ジュースを飲む人、工場見学にまじめに取り組んだグループでした。

このイベントは2月25日まで行われていて、要予約です。吹田工場の電話番号は06-6388-1943です。

見学の後は、留学生がよく行くというビリヤードをしに行きました。
熟女達はここ○十年ビリヤードはしていないという人ばかり。中には、「生まれて初めてビリヤードをした」という人もいて、点数はともかく、若者に教わってビリヤードを楽しみました。

2007年2月6日火曜日

NEMESIS

“NEMESIS”(因果応報・復讐)

やっとこの本を読み終わった、と言うか、見終わった。
Peter Evansと言う人が書いた、Jacqueline Kennedyと結婚したAristotele Sokratis Onassisのことを書いた本で、本全体としては、誰が何を言ったか実名入りで書かれているのでやたら人の名前が多くて覚え切れなかったが、ほぼ信頼できるものだと思う。

ただ、Onassisについては彼の悪い評判を聞いていたからある程度想像はしていたので驚かなかったけれど、JackieやJohn F. Kennedyについてはあまり知らず良いイメージしかなかったので、Kennedyが女道楽であったとか、Jackieもそれに対抗したとか、当時の彼らの社会の一部を知り、少なからず驚いた。
Onssisの伝記的な本なので、Onassisにかかわることが書いてあるわけで、当然彼の環境についてや彼の言葉が多く、あまり上品な本とは思えない。彼及び彼ら社会の一種の暴露本的なものといえるかもしれない。

NemesisはOnassisに掛けているのだと思うが、結果的にこの「因果応報」はOnassisのしてきたさまざまな暗い部分が最後には因果応報となったのだ、ということかと思う。
Jacquelineについて知らなければならなくなり、止むにやまれず読んだ本だったが、久しぶりに読んだ英語の本だった。こんなことがなかったら、一生読まなかった本だし、100%理解できていないけれど、読破したと言うことで、それなりの達成感はあった。

「Nemesis:ギリシア神話で、人間に幸・不幸を配分する女神。度をこえた繁栄、高慢などに天罰を下したという。」

2007年2月3日土曜日

節分


今日は節分。

久しぶりに巻寿司を作った。
「巻寿司は昔作ったことがあるような気もする・・・」と言いながらも、作るのにあまり乗り気でないJにも1本作らせたら、意外と簡単に出来たので、気をよくしていたみたい。
日本のいい思い出になると思う。

イワシを焼いたりしていたので、Jに巻寿司を一口大の輪切りにしてもらったが、食べているときに関西の節分では巻寿司は丸ごと一本かぶりつくというのを忘れていたのに気がついた。