2014年1月8日水曜日

関西テレビ 「関西いっちょうらコレクション」に出ることになりました!

関西テレビの方から、「『よ~いドン!』と言う番組の中で『いっちょうらコレクションというコーナがあり、そこで健康フラダンスのグループを紹介したい」とメールが来ました。
前のNHKみたいに練習風景を撮っていただけると思ったので、「皆、喜びます!」と、即返信しました。

フラの練習中に電話が来て、「皆さんのお宅にも訪問させていただいて、いっちょうらに着替えて撮影します」とのことなので、周りにいたメンバーにその旨伝えると「練習風景ならともかく、家に来ていただくのは、ちょっと・・・」と、誰も首を縦に振りませんでした。

もう一つの健康フラのグループに聞いたり、隣近所の人にも声をかけたのですが、皆一様に「家の中を撮影されるのは・・・」と断ります。
あまりにも皆が断るので、私の気持も少し揺れ出しました、が、一度O.K.しているので、家の中を片づけて対応することにしました。

取材2日前の6日には担当の方が打合せに来られました。
「いっちょうら」として着るのはどんな服か、クローゼットを映していいか、当日は約1時間くらいで撮影をするけれど、その順番は・・・等々、大体の流れも決めました。

「銀シャリ」という漫才グループが来るとのことでしたので、撮影は自然に流れるのかと思っていましたが、銀シャリとのやり取りを含め意外ときちんと、すること・言うことなど決めるのに、驚きました。


今日は撮影のために3時に来宅予定とのことでしたので、知人のタコ焼きパーティを早々に引き揚げ待っていましたが、結局来宅は6時になりました。

雨の降る寒い中、出迎えのためにドアを開けたら「銀シャリ」の2人が寒そうに立っていました。関係者はカメラマンなど「銀シャリ」の2人を合わせ合計6人でしたので、その人数にも驚きました。

キャロルと 「銀シャリ」の鰻さんと橋本さん。

打合せ通り、ポイントポイントで担当者が「○○」と言うと、銀シャリの2人がそれに対応して話を持っていきます。

私がアメリカ留学中にダイアナ・ロスの一家と一緒に撮った写真の話や、「健康フラダンス」で使う赤いスカートを銀シャリやキャロルに着けてもらって、フラを踊ったりもしました。

ダイアナ・ロスの家族と。

銀シャリというグループを私は良く知らなかったのですが、一人の人は「橋本」もう一人は「鰻」と書いてあるので、芸名かと思っていましたら、「ウナギ」君は九州の人で、故郷にはウナギ池があり、それに由来する姓とのことでした。二人とも我が家の末っ子より少し年下でしたが、それぞれ気の利く若者だと思いました。

参考に見ていた今迄の番組の「いっちょうら」では、みなさんそれぞれ思い出の服を来た以外に、持っている素敵な服を紹介していたのに、我が家はなぜか「普段着」のクローゼットの方を映されました。私は今回黒のワンピースを来たのですが、青のベルベットのスーツも好きで、どちらにしようか迷ったので、ここにそれもご紹介します。


なんだかんだしているうちに約一時間経ってしまい、皆さん機材を片づけ出したので終わりかと思ったら、「また、後で来ます。また連絡します」と全員出て行ってしまいました。

「後?あと?」 「あと」とは一体いつなのか??? 
とりあえず、キャロルと待つことにしました。夕食の時間でもあり夕飯を簡単に食べて、待っていましたがなかなか来ません。
やっと連絡がありカメラマン達が来られたのは夜の10時でした。
それから、先ほど撮り残したと思われる場面や場所を撮って30分程で帰られました。

1日で1週間放送分の5か所の撮影をするそうで、それも富田林や門真方面の人達が多く、我が家だけが吹田のため、移動するのに時間が多くかかっているようでした。

取材に来られた皆さんもお疲れのようでしたが、こちらも、疲れました。

後は、この撮影がどのように6分にまとめられるのか、興味津々です。

<番組について>
関西テレビ(8チャンネル)「よ〜いドン!」
月曜日〜金曜日の朝950分〜1115分まで放送しており、
円広志と藤本景子(関西テレビアナウンサー)が司会の奥様向けの番組
で、毎日生放送でお届けしております。

とのことで、
我が家の放送分は、2月の2週目になるようです。
(まだ、はっきりとは決まっていないようです)


2014年1月4日土曜日

2014  ボウリング


年に一度のボウリング。

今年はキャロルのお母さんが訪日しているので、5人ですることになった。

予約を入れた梅田のラウンド・ワンはお正月にもかかわらずそれほど混んでいなかった。

全員で1レーンでするか、2人と3人に分けて2レーンでするのか話し合い、初めは分けてして、後は全員でしようと言うことになった。でもしているうちに皆一生懸命になり、途中で人を入れ替えてもらって最後まで分れてすることになった。

始める前は2ゲーム位で終えるのかと思ったけれど、結局4ゲームしてしまった。

台湾ではボーリング場は環境の悪いところにあるので、今までしたことが無かったと言う晴美もそれなりにストライクを出したりして、気を良くしていた。

フランスではボーリング場は夕方から深夜まで開いているけれど、プレイ代が1ゲーム2500円以上するとかで、皆でわいわい言いながら時間をかけてするらしい。なので、今回も皆で一緒にしたいと言ってたけれど、時間を待たずに投げると言うのも面白いと思ったようで、特に分かれてしていることに何も言わなかった。

 

お昼は野菜が多いバイキングの「咲くら」。ここは安いしいろいろな野菜料理が多く、女性や高齢者に人気がある。いつもの「明日からダイエット」で、お腹いっぱい頂いた。

キャロルのお母さんも上手にお箸を使って食べていた。一番お箸の使い方の下手なのは台湾の晴美で、彼女にはお箸の持ち方を矯正するお箸が必要だと思う。
(-_-;)
 
続いてカラオケに行った。

これはキャロルの希望。息子は夕方までに東京に帰らなければならないと、カラオケには参加しないで帰って行った。

キャロルは一人でもカラオケに行くくらいカラオケ好きもあり、声もいいし、歌いなれている。歌う歌は日本語の歌ばかりでも、私の聞いたことのない歌ばかりだった。アニメソングや、アニメの声優が歌っている歌とのこと。

晴美はあまりカラオケに行ったことが無いようなので、歌うかしら、と思っていたら、中国語の歌とジャニーズの若者の歌も入れながら、どんどん予約していくので、順番に入れようね、と言わなければならなかった。

キャロルのお母さんは英語はまあまあなのだけれど日本語はしゃべれないしで、歌う歌はフランス語の歌。でも、私には何となく聞いたような曲が多かった。

私は久しぶりのカラオケで、今まで歌えていた歌が何だったのかも忘れるほど久しぶり。かろうじて歌える歌を思いだし、予約した。でも、他の3人は私が歌う歌は分からなそうだった。

と、言う感じで、全員で歌えるような歌はほとんどないカラオケだった。

阪急デパートの新年のデコレーション

とは言え、朝から夕方まで、良く遊んだ一日になった。
 
(^_^)/
 
 

2014年1月2日木曜日

2014  初詣


2013年のNHKの大河ドラマ「八重のさくら」は、同志社大学の創立者新島襄の妻・新島八重の生涯を描いたものでした。

 
会津の砲術師範の家に生まれ育った八重は、当時男がするものと言われていた銃の撃ち方を学び、江戸時代後期から明治にかけての戊辰戦争の時には会津の鶴ヶ城に籠城し、銃を持って戦ったそうです。その後、京都府顧問となっていた兄の山本覚馬の所に住み、米国から帰って来た準宣教師の新島襄と知り合い結婚し、襄の同志社大学設立に兄と共に協力したとのことです。

「戊辰戦争」(ぼしんせんそう、慶応4/明治元年 - 明治2年(1868 - 1869))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本内戦。名称は慶応4/明治元年の干支が戊辰であることに由来する(Wikipediaより)

男尊女卑が当たり前の時代に、自分のしたいと思うことをやり通した八重の意志の強さに、ドラマを見ていて少なからず感動しました。八重や襄、山本覚馬達のお墓が南禅寺の裏山の「熊野若王子神社(くまのにゃくおうじ神社)」の墓地にあると言うことで、南禅寺や平安神宮への初詣のついでにお参りすることにしました。

今回は留学生は都合で不参加です。東京から息子が参加しました。

まず、南禅寺にお参りしました。
お堂の前に大きな鉢があり、その中にはお線香がいっぱいあり煙がもうもうと立っていました。皆、その煙を自分の体につけていたのですけれど、何の効果があるのかは聞きそびれました。その近くのお堂の廊下には「禁煙」の表示が・・・。  ( ;)

境内には琵琶湖疏水の水路橋「南禅寺水路閣」が通っていて、花崗岩のアーチ型橋脚は落ち着いた佇まいで静かな東山の風景にとけこんでいました。
 
南禅寺の境内の中の疎水の水路橋

南禅寺から北に登って東の方に曲がったところに「熊野若王子子神社」があります。
熊野若王子神社
「熊野若王子神社」:1160年(永暦1)後白河上皇が紀州熊野権現を勧請(かんじょう:神仏の分身分霊を他の地に移して祭ること)して創祀した永観堂の守護神としての神社である。京都三熊野のひとつ。紅葉の名所。
尚、当社の南側の裏山に同志社創立者新島襄の墓がある。熊野御幸の起点でもある。後白河上皇は34回行かれた。(説明の字が難しく、意味も分かりにくいが「京都観光Navi」より抜粋しました。)

お正月のせいか、お神酒や甘酒が無料で振る舞われていました。小さな可愛らしい神社で、参拝客もそれほど多くなく、甘酒を頂くのにもゆっくり座れ、ほっとできる場所でした。

新島襄達のお墓は神社の墓地の一角で、神社から約20分と言われる山道を登って行きます。思いもかけず急な部分もあり、寒い中でも汗をかいてしまいました。
向かって左が八重、右が襄の墓碑

新島襄と八重のお墓は並んで建っていました。襄の碑銘は勝海舟が書いたけれど「島」の横棒が一画足らず、一方、八重の碑銘は徳富蘇峰が書いたとされ、こちらの「島」の字は「嶋」になっていました。夫婦なのにいろいろな苗字になっています。 (>_<)

ともかく、お二人とも仲良く、安らかに眠ってください。
 
山を下り、再度熊野若王子神社で一休みして、平安神宮に向かいました。

平安神宮
平安神宮は熊野若王子神社と比べ、初詣の人が多いのには驚きました。(@_@)
とは言え、伏見稲荷大社に比べたら、まだまだゆったりとお参りできる感じです。
赤い大きな鳥居と、本殿の軒下に飾られた刺繍でできていると思われるタペストリーも見事でした。

新島襄旧邸
その後新島襄の旧邸を外から垣間見て、御所の中を横切ってから地下鉄に乗りましたが、家を出てからこの時点でほぼ18千歩歩いていました。

旧所名跡の多い関西にいるせいか、少しずつ歴史について理解が深まりつつあるのがわかります。学生時代ならもっと良かったと思いますが・・・。

これはと思ったお店が混んでいたので、四条烏丸近くの[魚民]と言うところで夕食を取ることにしました。居酒屋みたいなところは久しぶりです。
席料を取られたり、お通しなるものが勝手に出てきて料金を請求されたり、無料のお茶が無かったりで、驚くことばかりでした。お酒を飲まないこともあり、もう魚民に行くことはないと思います。

今日は行きたいところに行けて、少し足が痛くなったけれど沢山歩けて、夜はとても良く眠れそうです。

(-_-)zzz