2015年7月11日土曜日

ギリシャ訪問 2 「結婚式」

結婚式を挙げる場所は、
避暑地として使われるような山の奥なので、
家族の人たちも道がよく分からず
迷いながらやっとたどり着きました。

ビラと呼ぶ、貸別荘のような家を
クリストスの関係者が使うように一軒丸ごと借りてありました。
私には通訳の為に、
クリストスのいとこがついてくれていました。

ニキ、お父さん、お母さんの兄弟、ニキの義理のお父さん、クリストスの先生、マリアンナ、私、ニキの夫

結婚式の前夜は
お互いの親族が夕食を共にするとのことで、
細長いテーブルを囲んで座り、
御馳走が次から次に運ばれてきました。

食事も終わりに近づいたころ
嬉しさのあまりなのか、お父さんが感極まって涙を流し、
クリストスになだめられていました。
お母さんはいつものように静かに孫の世話をしたりしていたけれど、
母親が泣くことが多い日本との違いに、
内心驚きました。

自撮り棒での撮影




結婚式は、
昔ながらのギリシャ式の結婚式とのことでした。

式の直前、
新郎側の関係者は新郎がいる場所に集まりました。
私が到着すると新郎は半パンに普段着のシャツ姿。
(-_-)?

すると、
彼が私の手を引いて入った部屋にはカメラマンが控えていて、
普段着の彼と私とで写真を撮るのです。
(-_-)??

関係者が順番に写真を撮り終わると
新郎が小さなホールに出てきて
おもむろに着ている服を脱ぎだしました。
(@_@)!???

パンツまで手をかけたけれど、
さすがそれは脱ぎませんでしたが・・・
(@_@)!????!

それからは、
新郎がまわりを取り巻いていた関係者の男性の中から
一人を選びシャツを着させて貰いました。
次の人にはズボンをはかせてもらい、
また次の人にはネクタイ・・・、靴下・・・と
次々につけて貰うのです。
(@_@)

新郎が結婚式の正装に出来上がった時点で、
ご両親を含めた近親者が輪になって踊りを踊りました。

ひとしきり踊り終わると、
皆でぞろぞろと式場になる教会に歩いていくことになりました。

式を挙げるのは、白い小さな可愛い教会。
参加者が200以上いると思われるのに、
式に参列できたのは50人ほどでした。

小さいので、全員が入れなかったのです。

ペルトォウリの教会

教会の内部は聖者の絵がたくさん描かれています。
ドレスアップした人々が厳かにたたずんでいる中で
粛々と進む式次第は、
美しく、
まるで映画の一部のようにも感じられました。

教会の中で、式の真っ最中

私はこの日の為に着物を日本から持参しました。
とはいえ、
自分で着物を着ることは何十年していなかったので、
日本を出発する1カ月ほど前からyoutubeで
着付けの練習をしたのですが、
どうも不十分だったようです。

それでも、
本物の着物を見たこともない、
また言葉も通じない
ギリシャの人たちの手助けで、
Youtubeを見ながら、
汗をかきながら、
どうにかこうにか帯もつけることができました。
(^_^)v

草履を履く練習もしていたのですが、
足袋を履いての練習はしていなかったので、
足袋を履いた分足指が圧迫されることは
予定にはありませんでした。

その足指が圧迫された状態で
式が行われている1時間弱立ち続けていたため、
式が終わった時にはあまりの痛さに歩けなくなってしまいました。
(しばらく休んだら少しあるけるようにはなりましたが。)

クリストスのお母さんと
着物を着た人を見るのは初めてという人が多く、
私を見て「ゲイシャ」だと言うのです。
(@_@)

「芸者はエンターティンメントの仕事をする人で、
私は単に着物を着ているだけの人です」と
何人かに説明しなければなりませんでした。
(-_-;)


式の後はパーティ会場に移動しました。

新郎新婦を待っている間に、食事が次から次に運ばれてきます。
皆が食べ終わる頃
音楽隊が音楽を奏で始めたら、
新郎新婦、ご両親等が手を繋ぎ、
踊りながら入ってきました。

それからは、
踊りたい人も加わって踊りの輪が大きくなりましたが、
新郎新婦はずーっと休みなく踊り続けるのです。
日本の新郎新婦みたいに
おとなしく座り続けているのとは
ずいぶん違うものだと思いました。

体力的に大変だとは思いますが、
皆と一緒に踊るのは楽しい思い出になります。


クリストスの友達で同じくドイツで働いているアレックスが横にすわりました。
彼は家族と車で来ていて、
明日はメテオラ見物に行くというので、
同行させてもらうことにしました。
(^_^)v

踊りは延々と続き、
いつ終わるのかと通訳してくれているいとこの人に聞きましたら、
皆が疲れたら終わる、とのことでした。

足の痛みも少し薄れたので、踊りの輪に少し加わってから、
部屋に戻りました。23時を過ぎていました。

幸い、着物が着崩れることは免れました。
(^_^)v

2015年7月7日火曜日

ギリシャ訪問 1

昨年我が家に滞在したギリシャ人のクリストスから
結婚式の招待状が届き、
ギリシャを訪れることにしました。

彼の生地はハルキダ(ハルキス)ですが
式場のあるペルトォウリは
日本の軽井沢のような感じの場所で、
深い深い山の中です。


ご両親は家から式場まで車で行かれるとのことで、
私も同行させていただくことにし、
ついでにホーム・スティもさせていただきました。

橋の手前のこちらがハルキダで、向こう側はアテネ。
クリストスのお母さんと
家は海まで歩いて数分の所にあり、
繁華街までも歩いていける距離の、
とても便利な、住みやすそうな場所です。

お母さんはお料理がお上手で、
頂くお料理はほとんどが初めての物ばかりでした。

フェタ、ギリシャサラダ、ザジキ
この後、小魚のフライのようなものなど海鮮のお料理が続きました。

日中はとても暑く、私の滞在中も連日30℃を超えていました。
湿度が低いので日陰にいればそれほど暑く感じないので、
お食事もほとんどベランダで頂きました。


街中の物価は、大阪に比べて、安く感じました。
特に果物は安く、私の大好きな赤黒いアメリカンチェリーは1kgで200円くらいでした。
(@_@)  (^o^)/


家の中では、部屋のドアのカギ穴には鍵が差し込まれたままで、
そのカギでロックしたりロックを解除したりします。
ホテルでも同じようでした。


折しも、ギリシャ危機の真っただ中。
どんなに混乱しているのかと想像しながらギリシャに着いたのですが、
ギリシャの人々は明るく、屈託なく生活しているように見受けられました。

クリストスの御両親はとても親切でした。
通訳として傍にいてくれた妹はクリストス似の親分肌でしたが、
お兄さんには頭が上がらないようでした。
結婚式の準備も、
「○○と××をしておくように!」と電話で指示があり、
「彼は監督しておくだけだ」とぼやきながら
せっせとプレゼントの小物作りに励んでいました。
(^_^)
それだけ、仲の良い兄妹なのだと思いました。


2015年5月17日日曜日

留学生帰国 2015

Wanchuが帰国のために、
朝4時に家を出なければならないと言っていたのに、
タクシーを予約しようとしたのは
前日の夜中でした。
簡単にできると思っていた予約が、
早朝過ぎて予約できないと言われ、困っていました。

私も一緒に駅まで行くことにしてそのつもりでいたら、
飛行機の出発が遅れるので、
家は8時頃出ればよいことになったと、
飛行機会社から連絡があったとのことで、ホッとしました。

それにしても、
荷物作りは家を出る直前までしているし、
出来た荷物は大きなスーツケース2個に
小さなバッグを4個程。
どうやって持っていくのか、
果たして持っていくことができるのか
他人事でしたが、心配でした。
本人は「大丈夫」とのこと。
今まで一番おろおろさせてくれた学生だと言うと、
一番記憶に残っていいでしょう、とのこと。
(;一_一)

タクシーが来て荷物をトランクに入れて、
さよならをしようとすると
Wanchuが
「おかあさ~ん・・・」と泣き出しました。

今までは、また会えるのだから、と、
学生は泣いても私は泣くことはなかったのですが、
昨年母が亡くなってからとても涙もろくなっているので、
今年はもしかすると・・・、と内心思っていた通り、
私もいつしかもらい泣きしていました。
(T_T)

泣いて帰国するくらい、
良い思い出ができたのだと思うと、
ホストファミリー冥利に尽きます。
(^_^)v



片づけるために彼女の使っていた部屋に入ると、
置手紙と包みが残っていました。


手紙を読んだら、また涙が出てきてしまいました。
本当に、涙もろくなっています。

包みにはクッキーが入っていました。
Wanchu
いろいろありがとう。

また来てね。
いえ、
帰ってきてね。

(^_^)/


2015年5月16日土曜日

修了式 2015 OGU

Wanchuの2015年度の修了式が行われました。

今までの修了式は夏に近づいて暑くなっている頃でしたので、
修了生の何人かは浴衣を思い思いに着て出席していましたが、
今回はまだ肌寒い日もある5月なので、
誰も浴衣は着ていないし、多くの学生が普段着のようでした。

Wanchuが家を出るときに
いつも着ているブラウスで行こうとするので、
「学校で着替えるの?」と思わず聞いてしまったのですが、
「いいえ・・・?」と答えた意味が、会場に着いてわかりました。

今まで参加していた専属のカメラマンのような人も見当たらない感じで、
修了式は簡素化されているように感じました。


学校の職員と話をしていて、
OGUの日本人の学生は現在約5000人です、と言われたので
その数の多さに驚いていたら、
数年前には1万人いたとのことです。
どこの学校も、少子高齢化で、大変なように思えます。

担任の先生からは、
朝は数分遅刻することが多かったけれど、
試験はいつも良い点でした、とのことでした。
ともかく、Wanchu、卒業おめでとう。


終了後のパーティは国際交流センターの入り口横のロビーで開かれ、
デザート類を頂くためには地下の小さい広場に移動しなければなりませんでした。

皆、たくさん頂いておなかがいっぱいになり、
例年ビデオを上映していたので今年も期待して待っていましたが
なかなか始まりません。
式が延びてしまったので、上映しないことにしたとのことでしたが、
関係者間では意思の疎通ができていなかったようで、
しばらく、するかしないかと、もめていました。
でも、
私たちが帰ることを決めた後には、上映が決まったようでした。

セレモニーの後、学生たちはクラスメイトとビア・ガーデンで打ち上げとのことでした。


同じホスト・ファミリーの方から、
JR岸辺駅近くにある「オッペン化粧品」の「バラ園」が
一般に開放されているとのことでしたので、
一緒に見物に連れて行って頂きました。


5500本以上あるというバラが、今を盛りと咲き誇っていました。
いつも行く万博公園のバラ園は、
「はい、バラが咲きましたよ!」と言う感じで
いろんな種類があるから見てください、でもあまり近づかないで・・・」
と少しとっつきにくい感じに植えられていますが、
オッペン化粧品のバラ園は、
「いろいろなバラが咲きました。楽しんでください」と言う感じで、
バラに近寄って香りも楽しめ、身近な感じがしました。




クリスがWanchuの卒業を祝して
白いチョコレートケーキをプレゼントしてくれました。
クリームが濃厚で、とてもおいしかったです。
ごちそうさまでした。

(^_^)v





2015年5月14日木曜日

お別れの晩餐会 2015

いつものように、
留学生が帰国する日が近づきました。
中国からのWanchuは、
修了式の翌朝に帰国するとのことです。

来日したばかりの時には、
「私はオタクですから・・・」と言っていたので、
どうなることかと思っていたら、
帰国直前は送別会だらけで、
家には寝るだけに帰ってくる状態でした。

やっと、空いている1日を見つけてもらい、
再来日したクリスと共に、
夕食を一緒に食べました。


「何が食べたい?」と聞いたら
「焼き魚」とのことでしたので、
鮭の塩焼きを用意しました。
中国の彼女の家ではお魚は煮て食べるので、
焼くことはほとんどないとのことです。

手巻きずしの具材は、
お刺身、卵焼き、かまぼこ、かにカマ、筋子、
ソーセージ、牛肉、きゅうり、沢庵、レタス
メインは「手巻き寿司」で、自分で具材を海苔で挟み食べます。
二人とも初めてだったので、喜んでくれて、
作った私もうれしかったです。

ちょっと多く作りすぎたようで、
足らなかった場合用に作ったちらし寿司は、
作った本人が後で処分する羽目になりました。

ともかく、楽しい夕食になりました。

(^_^)v

2015年5月11日月曜日

結婚式の招待状

 ギリシャからクリスが
再び大阪大学で研修するためにやって来ることになり、
我が家に滞在することになりました。

夕方8時頃我が家に着くとのことでしたが、
その頃私は福祉委員会の会議に出ているので、
Wanchuが出迎えることになっていました。
Wanchuは英語が通じなかったらどうしようと心配していましたが、
9時半過ぎに私が帰ってみても、
彼はまだ来ていませんでした。

夜中の11時過ぎにやっと我が家に着きました。
飛行機が1時間近く遅れたのと、
関西空港で入国手続きの時に
中国人だらけで手続きが1時間半以上もかかってしまったため、
予定通りに来られなかったとのことでした。


ギリシャではセージが有名だそうで、
セージのお茶をお土産に頂きました。


7月11日の結婚式の
招待状も届けてくれました。


ギリシャ語なので読めませんが・・・。


結婚式は、
アテネから北に行った山の中でするようです。
静かなところで式をしたいからとのことでした。


楽しみです。

(^_^)v




2015年5月10日日曜日

母の日 2015

おいしいプレゼントをいただきました。


 Wanchuからは、ローズ・マドレーヌ。
ほのかにバラの香りが漂っているような・・・。
やさしいケーキでした。


一番下の息子夫婦からは
「水晶月餅」と言うものでしたが、
月餅と言うよりはゼリーみたいなもので、
中には金粉が入っているものもありました。


ともかく、
Wanchuと二人、
おいしくいただきました。


メールを送ってくれた、
世界中の私の子供たち、
ありがとう。

(^_^)/