2016年7月17日日曜日

妖 精

道の傍の溝の中で、
殻から出られないでいるセミの幼虫を見つけました。


殻から外してあげたら、羽が少しずつ伸びてきました。


目が大きくて、薄コバルト色の羽の色は、妖精みたいです。




このような色のセミの羽は、生まれて初めて見ました。
(@_@;)


最終的には、
よく見る茶色の羽のセミになってしまいました。
このセミは、アブラゼミ、のようでした。

(^O^)/








2016年6月5日日曜日

ミュージカル

2008年に参加した「市民ミュージカル」の仲間から、
久しぶりに電話があった。
老後のことを考えて、
ケア付きの高齢者住宅を買ったので、
そのうち遊びに来ないか、と。
本題は、
今年もミュージカルに出るから、
見に来てほしいと言うことだった。
あれから8年、
不定期で数回ミュージカルをしていて、
彼女はそれらにも出ていたようだった。

時間もあったので、久しぶりに、見に行くことにした。
送られてきたチケットで、
「無音のレクイエム」という題名を知った。


内容は、
戦時中の人々の過酷で理不尽な生活を、
ほのぼのとした恋の話を絡ませながら
描いている。
筋はすっきりとしていて
分かりやすかった。 


出演者の最高年齢は聞きそびれたけれど、

小さな子供から70歳を超えた人達までが、
歌を歌いながら激しい踊りをして、
ミュージカルの一員として
劇中の人になりきっていた。

「素晴らしい!」
ぐっと、胸に来るものがあった。

母が亡くなって以来、
涙腺が弱くなってしまって、
危うくしずくがこぼれそうになってしまった。

8年前の出演者も
日本のあちこちから集まってきていた。
久しぶりの再会だった。


私は戦後生まれだけれど、
なんとなく戦争中の話は何回も聞いて知っているような気がする。
でも、
今の若者は、話さえもあまり知らないのではないかと思える。
そんな、戦争中のことを知らない若者に、
このミュージカルを無料で見せてあげたらいいのに・・・
と、思った次第です。

2016年6月4日土曜日

セミナー 「唄のちから」

同志社大学「観梅館」で開催されたセミナー
「唄のちから」に参加してきました。

音楽から知るハワイ先住民文化復興運動、
とのことで、
観光地としてにぎわっているハワイの、
ほとんどの日本人が知らない別の顔が
唄を交えて紹介されました。


ハワイの歌の紹介や合唱以外にも
同志社大学のフラ・グループのパフォーマンスもあり、
きびきびした切れの良い踊りを
楽しませていただきました。

関西に住んで○十年ですが、
同志社大学には初めて行きました。

同志社大学の正門

西門がとても大きかったので、
正門はさぞかし・・・と思っていましたら、
こじんまりした昔ながらの物のようでした。

赤いレンガ造りの見事な建物がたくさん、
広い敷地に建っていました。
緑の木も多く、
とても素敵な雰囲気でした。




大学の近くには鴨川が流れていて、
その奥には「大文字」の送り火を焚く山が見えました。

中央の山の白い三角の場所が「大」の字のところ
久しぶりに、京都を見物することにもなりました。

(^.^)/

下賀茂神社 (賀茂御祖神社)

下賀茂神社は
正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ぶそうです。
1994年に「世界文化遺産」に指定されたそうです。

かれこれ50年ほど前に、
下賀茂神社の近くに行った記憶はあるのに、
下賀茂神社のことは何も思い出せません。
ですので、
今回の訪問が初めてみたいな感じになりました。

表参道

境内の森全体が史跡「糺(ただす)の森」で
静かな感じのたたずまいの中、砂利道の表参道が続いています。


大きな鳥居を過ぎると
神社の入口・楼門があります。


御手洗社と御手洗池。
御手洗(みたらし)社の前のみたらし池は、
葵祭のヒロイン・斎王代が池に手を浸し清める、
という儀式をする場所だそうです。



下賀茂神社の南西に「河合神社」があります。
鴨川と高野川が合わさるところに作られたので
「河合」神社というそうです。



ここでは、美人になれるお守りや絵馬が売っていました。
私には不要なので買いませんでした。
(どういう意味でしょう・・・ね)
(-_-;)

その境内には「方丈記」の作者
鴨長明の方丈の庵の複製が建てられていました。

鴨長明の方丈の庵の複製
鴨長明はこの河合神社の神官の家に生まれたのだそうです。
ですが、色々な事情で神官を継ぐことができなかったため
厭世感を抱いて、
日野という所に方丈(3m四方)の家を造り、住んだそうです。


みたらし団子の発祥の地はこの下賀茂だそうで、
御手洗池に湧き出る水の泡をかたどったのが
みたらし団子、だそうです。



店内にいそべ巻きのいい匂いが漂っていたので、
注文したら山椒の粉がついてきました。
一緒に食べましたが、複雑な味でした。

古き良き都の一隅を
訪れた一日でした。

(^.^)

2016年4月17日日曜日

ハワイ旅行 2016 ⑤

午後の飛行機で
もう帰る日となってしまいました。



ホテルでは、
カード・キーの使い方やシャワーの出し方に戸惑ったり、
ベッドが高いので上がるのに飛び乗らなければならなかったり、
レストランではたくさんのにぎやかな中国人に唖然としたり、
と、
皆、色々な経験をしました。
また
朝、連絡のために電話しても出ない、
ドアをたたいても出てこないので、
何か事故でもあったのではないかと心配し、
ホテルの人にドアを開けてもらったら、
散歩に行っていていなかった、ということもありました。

ハワイにも慣れ、

単独行動もできるようになってきたのに、
楽しい時間は「あっ!」という間に過ぎます。



観光先のレストランではシェフに「カワイイ!」と褒められた人、
買い物にも英語にも自信を持てるようになった人、
ワイキキビーチで泳いだ人、
沢山のお土産を買った人、
皆それぞれが
楽しい思い出を作ったようでした。
(^O^)/

ホノルル空港では
2人の人が、
「きっちりとした出国手続きをしなければならない人々」
に選ばれてしまいました。
そのほかの人は、パスポートをチラッと見る程度で
すぐに通ることができました。
そのため2つのグループに分かれてしまい、
その二人を見失って探しに戻ったりすることもありました。
幸いすぐに見つかりましたが。

飛行機の中からダイヤモンドヘッドを望む

帰りの飛行機はそんなに混んでいなかったので、
ゆったり座ることができました。

ハワイにいた間は、
日本の情報はほとんど入ってこなかったので、
機内で配られた新聞で
熊本の震災を知り、驚きました。
(@_@) (@。@) (@_@)

17日の夕方、
関西空港に着きました。
快い疲れと共に、
皆、元気で無事に帰ってきました。

アロハ~ そして マハロ~

(^.^)/~~~

2016年4月15日金曜日

ハワイ旅行 2016 ④

今回の旅行の目的は
ワイキキにあるクヒオ・ビーチで
フラダンスを踊ることです。

このクヒオ・ビーチには、
大きなガジュマルの木があり、
その前にはちょっとした舞台があります。
この舞台では、地元のフラグループが観光客のために
週に何回か踊っています。

その舞台をお借りして、
私たちの日頃の成果をほんのちょっと発表しました。

ガジュマルの木の前で
私たちが踊っているのを見て、
通り過ぎようとした観光客たちが次々に
「写真を一緒に撮っても良いですか?」
と声をかけてきました。

スェーデンやベトナムからの人たちと

私たちを地元のフラグループの人たちと思って頂いたようで、
何も聞かれないので、
こちらからも何もお伝えしませんでした。
(^O^)/

近代サーフィンの父:デューク・カナハモクの銅像の前で
ワイキキビーチを離れ、
地元のクム・フラ(フラの先生)から
フラダンスを教えていただきました。

昼食には、ス゜パム・むすび、
ハワイで好まれている「ガーリック・シュリンプ」等々、
ハワイらしい食べ物も試してみました。

お腹もいっぱいになったところで、
生の花に長い針を通して、
自分用の「お花のレイ」を作りました。

レイを作ります、皆一生懸命です。


夜はハレクラニ・ホテルで
フラダンスを鑑賞しながらディナーを楽しみます。

このホテルの「ハウス・ウィズアウト・ア・キー」は、
1925年に書かれた小説「チャーリー・チャン」に登場するレストランで、
樹齢100年を越えるキアヴェという樹の下で、
毎晩ハワイアンミュージックとミス・ハワイによるフラが楽しめるところです、
とHPに書いてありました。

ハウス・ウィズアウト・ア・キーにて
キアヴェの木の向こうにダイヤモンドヘッドが見えます
色々な飲み物を頼みました。
写真は
エルビス・プレスリー関係の「ブルーハワイ」。
飲むと背中がかゆくなるほどおいしいという「トロピカル・イッチ」。
「イッチ」とは「痒い」という英語です。
トロピカル・イッチは孫の手がついてくるところもあるようです。
ここではついてきませんでしたが。

トロピカル・イッチと手前がブルー・ハワイ
今日のフラ・ダンサーは
元ミス・ハワイのカノエ・ミラーさん。
踊り初めて30数年になるそうです。
踊りの優雅さに、皆一応に感心しました。

元ミス・ハワイのカノエ・ミラー

ただここでは、ハワイアン・ミュージックを楽しみながら
お酒を飲んだりするのがメインのようです。
フラは1時間に1回、それも3曲だけらしく、
昨晩の船での公演のように
休む間もなく踊って見せてくれていたのと比べると、
手持無沙汰という感じになってしまいました。
ただ、
この晩は踊る回数を1回多くしてはくださったようでしたが・・・。

カノエ・ミラーさんと
ハレクラニ・ホテルのフラ・ショーが休憩になると、
演奏団の後ろの浜辺の通りに、
「タイ」の国なのか、どこかの国の金縁の赤い衣装を着て、
同じく赤い唐傘みたいなのをさし、
一見かわいらしいような女性が現れて、
フラフラ、踊るともなく動いていました。
(@_@)
ミラーさんが踊り始めようとする度に、いなくなりました。
(^O^)

金曜日は「アロハ・フライディ」と言って、
ホノルルでは有名な花火があがります。
ヒルトンホテルの方であげているらしく、
ちょうどハレクラニ・ホテルと横並びの位置でした。
ハレクラニ・ホテルからも見えると思っていたので、
音しか聞こえず、残念でした。

美しい日没は
とてもきれいに見ることができました。


ハワイでの最後の夜を
素敵なホテルで
素敵なドリンクと食事、
ハワイアン・ミュージックそしてフラと、
充分堪能しました。

(^.^)/


2016年4月14日木曜日

ハワイ旅行 2016 ③

今日はレンタカーで観光地を回る予定。

車の予約がどうなっているのか心配していたら、
運転してくれる人から朝電話があり、
予約をしてくれていた人と連絡が取れたとのこと。
一安心。
ただ、私もレンタカー会社まで行かないといけないというので、
朝食もそこそこ、慌てて出かけました。

車を運転してくれる人はハワイ在住20年近くとのこと。

まず、パールハーバーのアリゾナ・メモリアルに行きました。
ここは昔行ったことがあるので
今回はパスしようと思っていたら、
是非行きたいという人がいて、行くことになったのです。


ここは日本が真珠湾攻撃したときに沈没したアリゾナという軍艦が
今でも沈んだままで、
そこから少しずつ漏れ出てくる油が浮かび上がって来ていました。

以前に比べると、
資料館などもできていて、
記念館まで行くボートを待つ時間を過ごせるようになっていました。
ただ、このボートは乗る時間が予約制なので、
意外と時間がかかってしまいました。
と、
いうことと、
イオラニ宮殿も見学するツアーの時間が決まっていて、
次のツアーは午後からとのことで
写真を撮るだけで、見学はパスすることにしました。

イオラニ宮殿
そうこうしているうちに昼食の時間になってしまったので、
"Hau Tree Lanai"というレストランに行きました。
ラナイというのはベランダという意味で、
「ベランダにあるハウの木」という名前のレストラン。

昔の個人宅のベランダの部分が
今はレストランとなっているとのこと。
ここでは「エッグ・ベネディクト」を頂きました。

ニュー・オータニ・カイマナビーチ・ホテルの
レストラン「ハウ・ツリー・ラナイ」にて
ここで、
ダイヤモンド・ヘッドにハイキングに行くグループと、
お食事をゆっくりいただくグループに分かれ、
ハイキンググループは急いで昼食を済ませ、
ダイヤモンド・ヘッドのハイキングに行きました。

ダイヤモンド・ヘッドは頂上まで約40分。
ダイヤモンド・ヘッドの展望台でホノルルの町を望む
登った人が下りてくる頃を見計り、
ゆったりグループがダイヤモンド・ヘッドの入口のところで
待っていてくれました。

ダイヤモンド・ヘッドの入口の記念碑
今回は登山者も少なく、
記念写真もゆっくり撮れました。

続いて、タンタラスの丘という展望台に行きました。
タンタラスの丘からの景色
タンタラスの丘からは、ホノルルの町が南に見え、
その向こうにはダイヤモンドヘッドも見えました。
そこから
目を東北にに向けると山の連なりが見え
その頂上から麓の町までは雨が降っているようで、
虹のかかっているのも見えました。



夕方からは船に乗って「ディナー・クルーズ」です。


ホノルルの西にある港からダイヤモンドヘッドの近くまで
ワイキキ沖をクルーズします。

夕食はバフェット(バイキング)で、
船がダイヤモンドヘッドの近くで折り返したあたりから
ポリネシアン・ダンスが始まりました。


船の中にはたくさんのお部屋があり、
その食事をしている部屋専属の歌手やダンサーがいるらしく、
私たちのところでは写真の二人がメインでした。
ですので、
次の曲のために衣装を替えに、
女性の方は走って出入りしていました。
着替えの間にはウェイターも
ちょっと嗜好を凝らし、歌ったり踊ったりしていました。


何回も、曲に合わせて衣装を替えて踊りました。
ダンサーの一所懸命さが、
伝わってきました。

クルーズ船の中で
船を下りた後、
ショッピングしながら帰ってくるという皆を後に、
明日の準備のために先にホテルに帰りました。

☆ ☆


明日は、我が家にホームスティしていた留学生に、
写真や動画を撮ってもらうべく頼んでいたのです。

最終確認のために電話をしましたが通じません。
インターネットを使ってメールを送りました。
すると返事が来て、
「明日は11時にならないと行けなくなった」とのこと。
(@_@)
明日は朝10時までが重要だったので、
その旨彼女にも伝えてあったのに・・・。
「仕事が忙しい」というので、
それならば無理してもらわない方がいいからと、
こちらも手助けを断ることにしました。

一難去って また 一難・・・。

(>_<)

・・・・・。

(-_-;)

寝ることにしました。

(-_-)zzz