2014年2月2日日曜日
2014年1月8日水曜日
関西テレビ 「関西いっちょうらコレクション」に出ることになりました!
関西テレビの方から、「『よ~いドン!』と言う番組の中で『いっちょうらコレクション』というコーナがあり、そこで健康フラダンスのグループを紹介したい」とメールが来ました。
前のNHKみたいに練習風景を撮っていただけると思ったので、「皆、喜びます!」と、即返信しました。
フラの練習中に電話が来て、「皆さんのお宅にも訪問させていただいて、いっちょうらに着替えて撮影します」とのことなので、周りにいたメンバーにその旨伝えると「練習風景ならともかく、家に来ていただくのは、ちょっと・・・」と、誰も首を縦に振りませんでした。
もう一つの健康フラのグループに聞いたり、隣近所の人にも声をかけたのですが、皆一様に「家の中を撮影されるのは・・・」と断ります。
あまりにも皆が断るので、私の気持も少し揺れ出しました、が、一度O.K.しているので、家の中を片づけて対応することにしました。
取材2日前の6日には担当の方が打合せに来られました。
「いっちょうら」として着るのはどんな服か、クローゼットを映していいか、当日は約1時間くらいで撮影をするけれど、その順番は・・・等々、大体の流れも決めました。
「銀シャリ」という漫才グループが来るとのことでしたので、撮影は自然に流れるのかと思っていましたが、銀シャリとのやり取りを含め意外ときちんと、すること・言うことなど決めるのに、驚きました。
今日は撮影のために3時に来宅予定とのことでしたので、知人のタコ焼きパーティを早々に引き揚げ待っていましたが、結局来宅は6時になりました。
雨の降る寒い中、出迎えのためにドアを開けたら「銀シャリ」の2人が寒そうに立っていました。関係者はカメラマンなど「銀シャリ」の2人を合わせ合計6人でしたので、その人数にも驚きました。
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| キャロルと 「銀シャリ」の鰻さんと橋本さん。 |
打合せ通り、ポイントポイントで担当者が「○○」と言うと、銀シャリの2人がそれに対応して話を持っていきます。
私がアメリカ留学中にダイアナ・ロスの一家と一緒に撮った写真の話や、「健康フラダンス」で使う赤いスカートを銀シャリやキャロルに着けてもらって、フラを踊ったりもしました。
銀シャリというグループを私は良く知らなかったのですが、一人の人は「橋本」もう一人は「鰻」と書いてあるので、芸名かと思っていましたら、「ウナギ」君は九州の人で、故郷にはウナギ池があり、それに由来する姓とのことでした。二人とも我が家の末っ子より少し年下でしたが、それぞれ気の利く若者だと思いました。
参考に見ていた今迄の番組の「いっちょうら」では、みなさんそれぞれ思い出の服を来た以外に、持っている素敵な服を紹介していたのに、我が家はなぜか「普段着」のクローゼットの方を映されました。私は今回黒のワンピースを来たのですが、青のベルベットのスーツも好きで、どちらにしようか迷ったので、ここにそれもご紹介します。
「後?あと?」 「あと」とは一体いつなのか???
とりあえず、キャロルと待つことにしました。夕食の時間でもあり夕飯を簡単に食べて、待っていましたがなかなか来ません。
やっと連絡がありカメラマン達が来られたのは夜の10時でした。
それから、先ほど撮り残したと思われる場面や場所を撮って30分程で帰られました。
1日で1週間放送分の5か所の撮影をするそうで、それも富田林や門真方面の人達が多く、我が家だけが吹田のため、移動するのに時間が多くかかっているようでした。
取材に来られた皆さんもお疲れのようでしたが、こちらも、疲れました。
後は、この撮影がどのように6分にまとめられるのか、興味津々です。
<番組について>
関西テレビ(8チャンネル)「よ〜いドン!」
月曜日〜金曜日の朝9時50分〜11時15分まで放送しており、
円広志と藤本景子(関西テレビアナウンサー)が司会の奥様向けの番組
で、毎日生放送でお届けしております。
とのことで、
我が家の放送分は、2月の2週目になるようです。
我が家の放送分は、2月の2週目になるようです。
(まだ、はっきりとは決まっていないようです)
2014年1月4日土曜日
2014 ボウリング
年に一度のボウリング。
今年はキャロルのお母さんが訪日しているので、5人ですることになった。
予約を入れた梅田のラウンド・ワンはお正月にもかかわらずそれほど混んでいなかった。
全員で1レーンでするか、2人と3人に分けて2レーンでするのか話し合い、初めは分けてして、後は全員でしようと言うことになった。でもしているうちに皆一生懸命になり、途中で人を入れ替えてもらって最後まで分れてすることになった。
始める前は2ゲーム位で終えるのかと思ったけれど、結局4ゲームしてしまった。
台湾ではボーリング場は環境の悪いところにあるので、今までしたことが無かったと言う晴美もそれなりにストライクを出したりして、気を良くしていた。
フランスではボーリング場は夕方から深夜まで開いているけれど、プレイ代が1ゲーム2500円以上するとかで、皆でわいわい言いながら時間をかけてするらしい。なので、今回も皆で一緒にしたいと言ってたけれど、時間を待たずに投げると言うのも面白いと思ったようで、特に分かれてしていることに何も言わなかった。
お昼は野菜が多いバイキングの「咲くら」。ここは安いしいろいろな野菜料理が多く、女性や高齢者に人気がある。いつもの「明日からダイエット」で、お腹いっぱい頂いた。
キャロルのお母さんも上手にお箸を使って食べていた。一番お箸の使い方の下手なのは台湾の晴美で、彼女にはお箸の持ち方を矯正するお箸が必要だと思う。
(-_-;)
続いてカラオケに行った。
これはキャロルの希望。息子は夕方までに東京に帰らなければならないと、カラオケには参加しないで帰って行った。
キャロルは一人でもカラオケに行くくらいカラオケ好きもあり、声もいいし、歌いなれている。歌う歌は日本語の歌ばかりでも、私の聞いたことのない歌ばかりだった。アニメソングや、アニメの声優が歌っている歌とのこと。
晴美はあまりカラオケに行ったことが無いようなので、歌うかしら、と思っていたら、中国語の歌とジャニーズの若者の歌も入れながら、どんどん予約していくので、順番に入れようね、と言わなければならなかった。
キャロルのお母さんは英語はまあまあなのだけれど日本語はしゃべれないしで、歌う歌はフランス語の歌。でも、私には何となく聞いたような曲が多かった。
私は久しぶりのカラオケで、今まで歌えていた歌が何だったのかも忘れるほど久しぶり。かろうじて歌える歌を思いだし、予約した。でも、他の3人は私が歌う歌は分からなそうだった。
と、言う感じで、全員で歌えるような歌はほとんどないカラオケだった。
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| 阪急デパートの新年のデコレーション |
とは言え、朝から夕方まで、良く遊んだ一日になった。
(^_^)/
2014年1月2日木曜日
2014 初詣
2013年のNHKの大河ドラマ「八重のさくら」は、同志社大学の創立者新島襄の妻・新島八重の生涯を描いたものでした。
会津の砲術師範の家に生まれ育った八重は、当時男がするものと言われていた銃の撃ち方を学び、江戸時代後期から明治にかけての戊辰戦争の時には会津の鶴ヶ城に籠城し、銃を持って戦ったそうです。その後、京都府顧問となっていた兄の山本覚馬の所に住み、米国から帰って来た準宣教師の新島襄と知り合い結婚し、襄の同志社大学設立に兄と共に協力したとのことです。
「戊辰戦争」(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年
- 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する(Wikipediaより)
男尊女卑が当たり前の時代に、自分のしたいと思うことをやり通した八重の意志の強さに、ドラマを見ていて少なからず感動しました。八重や襄、山本覚馬達のお墓が南禅寺の裏山の「熊野若王子神社(くまのにゃくおうじ神社)」の墓地にあると言うことで、南禅寺や平安神宮への初詣のついでにお参りすることにしました。
今回は留学生は都合で不参加です。東京から息子が参加しました。
今回は留学生は都合で不参加です。東京から息子が参加しました。
まず、南禅寺にお参りしました。
お堂の前に大きな鉢があり、その中にはお線香がいっぱいあり煙がもうもうと立っていました。皆、その煙を自分の体につけていたのですけれど、何の効果があるのかは聞きそびれました。その近くのお堂の廊下には「禁煙」の表示が・・・。 (- -;)
境内には琵琶湖疏水の水路橋「南禅寺水路閣」が通っていて、花崗岩のアーチ型橋脚は落ち着いた佇まいで静かな東山の風景にとけこんでいました。
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| 南禅寺の境内の中の疎水の水路橋 |
南禅寺から北に登って東の方に曲がったところに「熊野若王子子神社」があります。
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| 熊野若王子神社 |
「熊野若王子神社」:1160年(永暦1)後白河上皇が紀州熊野権現を勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)して創祀した永観堂の守護神としての神社である。京都三熊野のひとつ。紅葉の名所。
尚、当社の南側の裏山に同志社創立者新島襄の墓がある。熊野御幸の起点でもある。後白河上皇は34回行かれた。(説明の字が難しく、意味も分かりにくいが「京都観光Navi」より抜粋しました。)
尚、当社の南側の裏山に同志社創立者新島襄の墓がある。熊野御幸の起点でもある。後白河上皇は34回行かれた。(説明の字が難しく、意味も分かりにくいが「京都観光Navi」より抜粋しました。)
お正月のせいか、お神酒や甘酒が無料で振る舞われていました。小さな可愛らしい神社で、参拝客もそれほど多くなく、甘酒を頂くのにもゆっくり座れ、ほっとできる場所でした。
新島襄達のお墓は神社の墓地の一角で、神社から約20分と言われる山道を登って行きます。思いもかけず急な部分もあり、寒い中でも汗をかいてしまいました。
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| 向かって左が八重、右が襄の墓碑 |
新島襄と八重のお墓は並んで建っていました。襄の碑銘は勝海舟が書いたけれど「島」の横棒が一画足らず、一方、八重の碑銘は徳富蘇峰が書いたとされ、こちらの「島」の字は「嶋」になっていました。夫婦なのにいろいろな苗字になっています。 (>_<)
ともかく、お二人とも仲良く、安らかに眠ってください。
山を下り、再度熊野若王子神社で一休みして、平安神宮に向かいました。
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| 平安神宮 |
平安神宮は熊野若王子神社と比べ、初詣の人が多いのには驚きました。(@_@)
とは言え、伏見稲荷大社に比べたら、まだまだゆったりとお参りできる感じです。
赤い大きな鳥居と、本殿の軒下に飾られた刺繍でできていると思われるタペストリーも見事でした。
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| 新島襄旧邸 |
その後新島襄の旧邸を外から垣間見て、御所の中を横切ってから地下鉄に乗りましたが、家を出てからこの時点でほぼ1万8千歩歩いていました。
旧所名跡の多い関西にいるせいか、少しずつ歴史について理解が深まりつつあるのがわかります。学生時代ならもっと良かったと思いますが・・・。
これはと思ったお店が混んでいたので、四条烏丸近くの[魚民]と言うところで夕食を取ることにしました。居酒屋みたいなところは久しぶりです。
席料を取られたり、お通しなるものが勝手に出てきて料金を請求されたり、無料のお茶が無かったりで、驚くことばかりでした。お酒を飲まないこともあり、もう魚民に行くことはないと思います。
今日は行きたいところに行けて、少し足が痛くなったけれど沢山歩けて、夜はとても良く眠れそうです。
(-_-)zzz
2013年12月20日金曜日
「残間 里江子」
残間里江子さんの講演があるとのことで聞きに行って来た。
山口百恵の本の出版にかかわったと言うことは聞いていたし、いろいろ話題を振りまいていた人なので、どんな人なのかと思って。
1950年生まれの小柄な、かわいらしい感じの人だった。
ただ、私が撮った写真は可愛らしく取れなかったので、インターネットで画像を探して使わせてもらいました。m(_ _)m
彼女の肩書が「プロデューサー」と言うことで、プロデューサーとディレクターの違いを説明された。
プロデューサーとディレクターは、どちらが上とかと言うことはなく、其々別の役職で、プロデューサーは全体を把握し、企画・立案そして経費などのお金全般に責任を持つ人とのこと。
ディレクターは、指揮者や監督など部門の代表とのこと。
彼女は、山口百恵の「蒼い時」を出版するに当たり、プロデューサーとして、その役目を収入の伴う仕事として確立した人、らしい。
本の印税は一般的に10%で、後は出版社の方に行く中から、プロデューサーとして1%受け取るようにしたとのこと。山口百恵の本は400万部売れたとか。
出版するに当たりいろいろなことをする中で、良いと思ったことは即実行し、また何日も何日も根気良く続けて交渉したことなど、忍耐強い人でもあるから、今日の成功があるのだろうと思った。
今も「プロデュース」能力を生かし、様々な活動をし、会員制のネットワーク「クラブ・ウィルビー」を設立し、既存の「シニア」のイメージを払拭した「日本の大人像」の創造を目指し、活躍しているとのこと。その合間に、お母さんの介護も続けているとのこと、でした。
2013年12月16日月曜日
美濃路の旅
「抽選で当たりましたので、特別価格で旅行にご参加いただけます」と言う手紙が来て、昼食付のバス旅行で「美濃路の旅」に行くことになった。
(^_^)/
パンフレットの写真を見て、「なばなの里」に行くのなら、他に宝石店に寄ろうが、時間内に行けるなら構わないと思い、申し込んだのだった。
バスはまず「宝石店」や「ごまの郷」に寄り、伊吹山麓の関ヶ原の「花伊吹」という所で昼食。
続いて「千代保稲荷」通称は「おちょぼいなり」だそうで、ここはお稲荷さんなので藁に取り付けられた油揚げを投げて奉納するとのこと。商売繁盛と家内安全のご利益があるそうでした。
少しあたりが薄暗くなり出したので最終目的地の「冬の光物語」のイルミネーションを見に出発した。
到着したところでガイドの人に「ベゴニアの植物園はどこにありますか?」と聞くと、「ベゴニア?ですか?」ガイドが他のバスのガイドに聞いてくれたけれどわからないらしく「多分奥の方にあると思います」と言うので、
「なばなの里はどちらですか?」と聞くと
「なばなの里?ですか?あれは名古屋ですけど・・・」
「!!!???!!! ここは、どこですか?」
「ここは、木曽の三川(さんせん)公園です」
(@_@)
その時まで、なばなの里に行くものと思っていたので、ショックは大きかった。
何故、なばなの里に行くと思い込んでいたのだろうか・・・?
以前から「なばなの里」に行ってみたいと思っていたので、パンフレットの写真を見て、立派なイルミネーションは「なばなの里」と思い込んでしまった、と思う。
関東人で西の方の地理にそれほど強くないので「美濃」も「尾張」も似た様なものと言う感覚があり、違いがわからなかった、のが原因かも・・・。
(>_<)
イルミネーションは、時間とお金をかけて見に行くほどの物かしら・・・、と考えるくらいの規模だった。
安い旅費で昼食付きで、バスの中では眠れ、行ったことのない所にも連れて行ってもらえたけれど、行きたいと思っていたところには行けなかったので、何となく心の中がもやもやしている。
今度からは、字が小さいからと言わずパンフレットは良く読んで、行先を確かめよう、と思う。
(-_-;)
(^_^)/
パンフレットの写真を見て、「なばなの里」に行くのなら、他に宝石店に寄ろうが、時間内に行けるなら構わないと思い、申し込んだのだった。
バスはまず「宝石店」や「ごまの郷」に寄り、伊吹山麓の関ヶ原の「花伊吹」という所で昼食。
続いて「千代保稲荷」通称は「おちょぼいなり」だそうで、ここはお稲荷さんなので藁に取り付けられた油揚げを投げて奉納するとのこと。商売繁盛と家内安全のご利益があるそうでした。
少しあたりが薄暗くなり出したので最終目的地の「冬の光物語」のイルミネーションを見に出発した。
到着したところでガイドの人に「ベゴニアの植物園はどこにありますか?」と聞くと、「ベゴニア?ですか?」ガイドが他のバスのガイドに聞いてくれたけれどわからないらしく「多分奥の方にあると思います」と言うので、
「なばなの里はどちらですか?」と聞くと
「なばなの里?ですか?あれは名古屋ですけど・・・」
「!!!???!!! ここは、どこですか?」
「ここは、木曽の三川(さんせん)公園です」
(@_@)
その時まで、なばなの里に行くものと思っていたので、ショックは大きかった。
何故、なばなの里に行くと思い込んでいたのだろうか・・・?
以前から「なばなの里」に行ってみたいと思っていたので、パンフレットの写真を見て、立派なイルミネーションは「なばなの里」と思い込んでしまった、と思う。
関東人で西の方の地理にそれほど強くないので「美濃」も「尾張」も似た様なものと言う感覚があり、違いがわからなかった、のが原因かも・・・。
(>_<)
イルミネーションは、時間とお金をかけて見に行くほどの物かしら・・・、と考えるくらいの規模だった。
安い旅費で昼食付きで、バスの中では眠れ、行ったことのない所にも連れて行ってもらえたけれど、行きたいと思っていたところには行けなかったので、何となく心の中がもやもやしている。
今度からは、字が小さいからと言わずパンフレットは良く読んで、行先を確かめよう、と思う。
(-_-;)
| 木とイルミネーションと、月 |
2013年12月7日土曜日
滋賀見物
国史跡:釈迦山「百済寺(ひゃくさいじ)」
聖徳太子により百済人(くだらじん)のために建てられ壮大な寺院だったが、火事や戦災により焼失し、近世に規模も縮小し再建されたという。
仁王門には3mと言われる草鞋がかけられてるが、それは仁王たちのわらじで、最初は50cmほどだったのが皆が願をかけるので、年々大きくなって3mになってしまったとのこと。
近畿ではほとんどのところで紅葉が終わり、唯一紅葉が見られるかもしれないというので行ったけれど、黄色の葉はきれいだったけれどここも赤い葉は落ちてしまっていた。ここは紙の原料になる三椏(ミツマタ)がたくさん植わっていた。
次に晴美が見たいと言っていた琵琶湖に行ったけれど、今にも雨が降りそうな天気で風もあり、湖面は荒れた海のようにうねっていた。せっかくなので、その湖畔の風が吹く寒い中で昼食をとる。後できっと忘れられない思い出になると思いながら・・・。
(-_-;)
滋賀に行くとは決まっていたけれど、具体的にどこに行きたいかと言う場所もなかったので、いつかは行ってみたいと思っていた「安土城蹟」に行くことにした。
石段の目立つ城跡と言う感じで、お年寄りには厳しいと思える高い石段が残っていた。小さな城跡で観光客もそれほど多くなかった。城の周りの木々が育って視界はそれほど良くはなかったが、織田信長の時代には見晴らしは良かったと思われる。
最後に三井アウトレット・パーク・滋賀竜王に行く。6000台余の駐車場があるという大きなアウトレット。ブランド店がいっぱいあったけれど、物産展などはなかったので、滋賀見物に行くならやはり道の駅など、現地のお土産や物産がある方が良いと思った。
(>_<)
今回のドライブは、留学生が喜ぶのではないかと思いK夫妻が企画してくれた。彼らは姫路からわざわざやってきて、彼女たちのあいている土曜日に行くことにしたために、紅葉も終わる12月になってしまった。
ところが、朝になってキャロルがおなかが痛いので行かないと言い出した。以前から痛いと言っていたので、心配しながらも家で安静にしているように言って、出かけた。
ドライブ中は晴美はよほど疲れているのか、ほとんど寝ていた。行く先々では喜んでいたようだけれど、5時30には友達とのパーティに行かなければならないと、途中下車して行ってしまった。
夕食は家の近くで食べることになっていたのでキャロルを迎えに行った。一日寝ていたのかと思ったら、日中友達に会いに出かけたとのこと。
K夫妻は、姫路まで混むこともなく帰れたとのこと。
お疲れ様でした。
久しぶりのドライブで私は運転もしなくて良く、楽しめたのだけれど、今回の留学生はおじさんおばさんとどこかに行くより、どうも友達と遊ぶ方が良いように思える。
(-_-;)
聖徳太子により百済人(くだらじん)のために建てられ壮大な寺院だったが、火事や戦災により焼失し、近世に規模も縮小し再建されたという。
仁王門には3mと言われる草鞋がかけられてるが、それは仁王たちのわらじで、最初は50cmほどだったのが皆が願をかけるので、年々大きくなって3mになってしまったとのこと。
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| 百済寺の仁王門を望む |
次に晴美が見たいと言っていた琵琶湖に行ったけれど、今にも雨が降りそうな天気で風もあり、湖面は荒れた海のようにうねっていた。せっかくなので、その湖畔の風が吹く寒い中で昼食をとる。後できっと忘れられない思い出になると思いながら・・・。
(-_-;)
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| 荒れる琵琶湖 |
滋賀に行くとは決まっていたけれど、具体的にどこに行きたいかと言う場所もなかったので、いつかは行ってみたいと思っていた「安土城蹟」に行くことにした。
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| 織田信長 本廟 |
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| 安土城蹟 |
![]() |
| 安土城の急な石段 |
(>_<)
今回のドライブは、留学生が喜ぶのではないかと思いK夫妻が企画してくれた。彼らは姫路からわざわざやってきて、彼女たちのあいている土曜日に行くことにしたために、紅葉も終わる12月になってしまった。
ところが、朝になってキャロルがおなかが痛いので行かないと言い出した。以前から痛いと言っていたので、心配しながらも家で安静にしているように言って、出かけた。
ドライブ中は晴美はよほど疲れているのか、ほとんど寝ていた。行く先々では喜んでいたようだけれど、5時30には友達とのパーティに行かなければならないと、途中下車して行ってしまった。
夕食は家の近くで食べることになっていたのでキャロルを迎えに行った。一日寝ていたのかと思ったら、日中友達に会いに出かけたとのこと。
K夫妻は、姫路まで混むこともなく帰れたとのこと。
お疲れ様でした。
久しぶりのドライブで私は運転もしなくて良く、楽しめたのだけれど、今回の留学生はおじさんおばさんとどこかに行くより、どうも友達と遊ぶ方が良いように思える。
(-_-;)
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